本ページはプロモーションを含みます

あなたには今、信じ切っているものがありますか。——人でも、夢でも、自分自身でも。

「信じている」と「信じ切っている」の間には、思っていたよりもずっと深い溝があります。信じているつもりで、実は心のどこかで疑っている。信じているふりをしながら、うまくいかなかったときの言い訳を用意している。そういうことが、私たちの日常にはたくさんあります。

2025年2月17日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられた栗山英樹さんは、2023年WBCで日本を世界一へと導き、そして今また新たな場所で「信じ切る」という仕事を続けています。彼の言葉や行動の記録を丁寧に読み解いていくと、「信じ切る」というのが、単なる精神論ではなく、一つの技術であり、覚悟の形であることが見えてきます。

この記事では、栗山英樹さんの著書や各メディアの公開インタビューで確認された言葉を手がかりに、「信じ切る」という行為の本質を探ります。そして、40代という人生の折り返し地点に立つ私たちが、その哲学を日常にどう取り込めるかを一緒に考えていきたいと思います。

📋 この記事でわかること

  • WBC世界一の裏にあった「信じ切る」という覚悟の正体
  • ダルビッシュへの手紙が教える「誠意の形」と人を動かす力の源泉
  • 不振の村上宗隆を使い続けた決断の哲学とリーダーの覚悟
  • 「恥をかける人が強い」という逆転の価値観が生まれた背景
  • 「ダメな出発点」こそが最強の共感力になる理由
  • 40代女性が「信じ切る」を日常に取り戻すための具体的なヒント

序章:「最低な選手」が、世界一の監督になるまで

栗山英樹さんの出発点は、決して輝かしいものではありませんでした。

東京薬科大学から社会人野球を経てプロ入りしたのは1984年。決してエリート街道ではなく、むしろ遠回りな道のりでした。プロとして8年間プレーしましたが、長年の夢だった現役生活を閉じることになったのは、耳の病気——メニエール病という診断でした。

思うように体が動かない。立っているだけで目が回る。練習すらできない日が続く。そのような状況の中で、自分がどれだけ野球に愛着を持っていたかを痛感しながら、ユニフォームを脱がなければならなかった。そのときの無念さと悲しさは、想像するだけで胸が痛くなります。

しかし、栗山さんはのちにこのメニエール病という経験が、自分の指導者としての根幹を形成したと語るようになります。苦しんでいる選手の気持ちが、体の奥底からわかる。どれだけ努力しても思うようにいかない日々がどういうものか、「感覚」として知っている。それが、ほかの多くの名指導者と決定的に違う点なのかもしれません。

スポーツキャスター、解説者、そして日本ハムファイターズの監督として11年間。2023年のWBCでは侍ジャパンを率いて世界一を達成しました。そして2024年1月、古巣の北海道日本ハムファイターズに「CBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)」という新しいポストで復帰しています。

💡 ポイント:「敗北の経験」が指導者の財産になる

栗山さんの著書『監督の財産』(光文社)でも、「自分がダメな選手だったから、ダメな選手の気持ちがわかる」という趣旨の言葉が繰り返されます。完璧な選手が完璧な指導者になれるわけではない。むしろ、苦しみを知っている人間こそが、苦しむ選手に寄り添える指導者になれる——そういう逆説を、栗山さんの歩みは体現しています。

では、そんな栗山さんが最も大切にしてきた「信じ切る」という哲学は、どのようにして生まれ、どのような場面で試されてきたのでしょうか。章を追いながら、その輪郭を丁寧に描いていきたいと思います。

吉田松陰の言葉が監督室に飾られた理由

栗山さんの著書や取材記事で繰り返し言及される言葉があります。幕末の思想家・吉田松陰が残した「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」という言葉です。読み下せば「誠意を尽くして、それでも相手の心が動かないことはない」という意味になります。栗山さんはこの言葉を監督室に掲示し、著書の中でも幾度となく引いてきました。

この言葉への傾倒は、栗山さんが「誠意」というものをどれほど深く信じているかを示しています。テクニックや戦略の前に、「心を尽くして向き合うこと」が最も大きな力を持つ——そういう信念が、この言葉への共鳴として現れているのでしょう。

興味深いのは、吉田松陰自身が決して「成功した人物」ではなかったという点です。29歳という若さで処刑され、彼が直接動かした歴史的な出来事は限られています。しかし彼が松下村塾で教えた弟子たちが、明治維新を動かした。「至誠」を体現し続けた人物の影響力が、時代を超えて波紋を広げた。栗山さんが吉田松陰の言葉に惹かれる理由も、そこにあるのかもしれません。誠意の種を、今この場で誰かの心に蒔くことで、その芽がいつかどこかで大きな花を咲かせる。そういう時間の長い視点が、栗山さんの「信じ切る」哲学と深く重なります。

「こうなったらいいな、ではなく、絶対になる、こうなる、と考える。そこから知恵が生まれる」——東洋経済オンラインのインタビューで確認されたこの言葉も、吉田松陰の「至誠」と同じ方向を向いています。願望の段階を超えて、「なる」という確信に自分を置く。その確信から逆算して、今何をすべきかが見えてくる。信じ切ることは、思考の起点を変えることでもあるのです。

時期 出来事 「信じ切る」との関連
1984〜1992年 ヤクルトスワローズでプレー、メニエール病で引退 挫折が共感力の根幹を形成
2012〜2021年 北海道日本ハムファイターズ監督(11年) 大谷翔平・中田翔ら個性的な選手たちを「信じる」日々
2023年3月 WBC侍ジャパン監督として世界一 ダルビッシュ招聘・村上起用など「信じ切る采配」が結実
2024年1月〜 北海道日本ハムCBOとして復帰 「常勝組織」構築という新たな「信じ切る」の形

第1章:「信じ切る」だけが仕事——村上宗隆という試練

不振の深さと、揺れない選択

2023年のWBCで、最も多くの人の心を揺さぶったシーンのひとつが、村上宗隆選手に関する一連の出来事でした。

前年の日本シーズンで史上最年少の三冠王を達成し、「4番・村上」への期待は日本国民全体のものとも言えるほどでした。しかしWBCが始まると、村上選手は打てない日々が続きます。各メディアの取材記事によれば、打率は1割を切り、打点もなかなか挙げられない。スタメンを外すべき、という声も上がり始めます。

そんな中でも、栗山さんは村上選手を起用し続けました。この采配の背景について、東洋経済オンラインのインタビューで栗山さんはこのような趣旨で語っています。「選手のためになるかどうか」が唯一の判断基準であると。「監督が楽になりたいから、あるいは批判されたくないから」という理由で選手を外すことは、指導者としての誠実さに反する。村上をここで外すことが本当に村上のためになるのか——その問いへの答えが、「外す理由にはならない」だったのです。

💡 ポイント:「自分が楽になるための判断」と「選手のための判断」は違う

私たちの日常にも似たような場面があります。部下や子どもを「信じる」ふりをしながら、実は自分が批判されないための選択をしている——そういうことは、思っているより多いかもしれません。栗山さんの采配が問いかけるのは、あなたの「信じる」は誰のためのものか、ということです。

「最後にお前が決める」という言葉が生まれた場所

各メディアの取材記録によれば、栗山さんは不振の続く村上選手に対して、「最後にお前が決める」という言葉をかけ続けていたとされます。これは予言でも慰めでもなく、「あなたを信じているから最後まで使う」という意志の表明でした。

準決勝メキシコ戦。9回裏2アウト、1点差のビハインドという場面で、村上選手はサヨナラ打を放ちました。スタジアムが揺れるほどの歓声の中、村上選手が泣き崩れた映像は、多くの人の記憶に焼き付いています。

あの瞬間が生まれたのは、打ち続けた努力の結果であることは間違いありません。しかしそれと同時に、「信じ切られた」という経験が、村上選手の中に何かを育てていたとも考えられます。信じられるということは、責任を渡されることです。重い責任を、逃げずに受け取り続けた村上選手と、その責任を渡し続けた栗山さんの間に流れていたものを、私はひそかに「信頼の時間」と呼びたいと思います。

「信じ切れば、結果に納得がいく」——これは東洋経済オンラインのインタビューで確認された栗山さんの言葉です。結果がどうであれ、信じ切った自分に納得がいく。それは、結果に左右されない、より深いところにある充足感なのではないでしょうか。

第2章:ダルビッシュへの手紙——誠意は人を動かすか

なぜ手紙だったのか

WBC2023の代表招集において、最も難しい交渉のひとつが、ダルビッシュ有選手の招聘でした。当時すでにMLBでキャリアを積み上げ、日本の国際大会への参加は長らく見送られていたダルビッシュ選手を口説くために、栗山さんはアメリカへ直接出向いています。

各メディアの取材記事で確認されている事実として、栗山さんはダルビッシュ選手の妻・聖子さんへも手紙を書いています。選手本人だけでなく、その家族の気持ちや立場まで考えた上での行動でした。「選手に来てほしい」という一方的な要望ではなく、「この大会がダルビッシュにとって、そして家族にとって意味のある経験になると信じている」というメッセージを、形のある言葉で届けようとした。

著書や各インタビューで確認された栗山さんの言葉に、「一生に一度でいいからメンバー表にダルビッシュと書かせてくれ」というものがあります。この言葉の持つ重量感を、少し立ち止まって感じてみてください。「一生に一度でいいから」——それは強制でも命令でもなく、懇願であり、夢の告白です。監督というポジションにある人間が、選手に対してこれほど率直に「お願い」する姿は、珍しいと言っていいかもしれません。

「絶対に嘘をつくな」という信条との接続

栗山さんが指導哲学として各インタビューで繰り返してきた言葉があります。「絶対に嘘をつくな。裸のままぶつかれ」という言葉です。

ダルビッシュへのアプローチは、まさにこの哲学の体現でした。「来てくれたら得をする」という交渉術ではなく、「あなたに来てほしい。それが日本野球と後輩たちのためになると、私は本気で思っている」という、飾りのない本音をぶつけること。

嘘のない言葉は、受け取る側にも正直さを求めます。ダルビッシュ選手が最終的にWBC参加を決断し、さらには選手たちの精神的支柱となって日本を引っ張っていった姿は、「誠意が人を動かした」という物語の、ひとつの証明だったように思います。

第3章:大谷翔平との「言葉のない信頼」

言葉を超えた信頼の形

栗山さんが北海道日本ハムの監督を務めていた時代に、大谷翔平選手との関係は育まれました。「二刀流」という、それまで誰も本気で挑戦させなかった道を、大谷選手に歩かせたのは栗山さんでした。

当時、多くの専門家やOBが懐疑的な目を向けていた中で、栗山さんは「大谷なら必ずできる」という信念を貫きました。各メディアの取材によれば、その信頼関係は深くなるにつれ、細かく言葉で説明し合わなくても意図が伝わる「阿吽の呼吸」へと発展していったとされます。

WBC2023での大谷選手の活躍については、多くを語る必要はないでしょう。MVP受賞、そして決勝のアメリカ戦での締めくくり。その場面での大谷選手の堂々たる姿の背後には、長年かけて積み上げてきた「信じられてきた経験」があったはずです。

信頼は「証明する」ものではなく「積み上げる」もの

栗山さんと大谷選手の関係を見ていると、信頼というものの本質が浮かび上がってきます。信頼は、誰かが「この人は信頼できる」と証明して初めて成立するものではありません。日々の小さなやりとりの積み重ね、約束を守ること、弱さを正直に見せること、失敗を一緒に受け止めること——そういう地道な営みの上に、少しずつ築かれていくものです。

私たちの日常でも、これは同じです。パートナーとの関係、子どもとの関係、職場の同僚との関係。「信頼されたい」と思ったとき、私たちはどうしても何か特別なことをしようとします。しかし実際には、特別ではない日々の中での誠実さが、信頼を育てる一番の土台なのではないでしょうか。

大谷翔平という「史上初」を可能にしたもの

大谷翔平選手が「二刀流」として世界的な選手になった今、振り返ればその出発点にあった栗山さんの決断は歴史的だったと言えます。当時のプロ野球界において、投手と野手を同時にこなす「二刀流」は、ほとんどの指導者から「非現実的」「才能の無駄遣い」と批判されていました。

それでも栗山さんが大谷選手に二刀流を許可したのは、様々な取材記事の文脈から読み取れるように、「大谷の可能性を信じ切った」からでした。チームの勝利という短期的な利益より、一人の選手が最大限に輝ける環境を整えることの方が大事——そういう優先順位のつけ方が、今日の大谷翔平という存在を生んだともいえます。

「信じ切る」という行為が、どれほど大きな実を結ぶことがあるか。その壮大な実例が、大谷翔平という選手のキャリアなのかもしれません。もしあのとき誰かが大谷選手に「現実的に考えろ」と言っていたら、世界は今日の大谷を知らないままだったかもしれない。「信じ切ること」には、人の人生を変える力があります。

💡 ポイント:「現実的に考えろ」という言葉が夢を潰すことがある

子どもが将来の夢を語るとき、私たちはつい「現実的に考えなさい」と言ってしまうことがあります。もちろん現実を教えることも大切です。しかし、まだ可能性が開いている段階で、信じることを止めてしまわないように——栗山さんの大谷選手への接し方は、そう教えてくれているように感じます。

第4章:裏方スタッフに話を聞く監督——見えない努力を見る力

CBO復帰後の「現場巡回」

2024年1月、北海道日本ハムファイターズに「CBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)」として復帰した栗山さんについて、2025年2月17日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の番組公開情報では、裏方スタッフ一人ひとりに話を聞きに行く様子が紹介されました。

グラウンドを整備する人、用具を管理する人、データを分析する人、食事を準備する人——スポーツ組織というのは、表に立つ選手やコーチだけで成り立っているわけではありません。その「表に出ない部分」に丁寧に目を向けていく姿勢は、栗山さんの根本にある「人を見る」というスタンスと深く結びついています。

見えない人を見る、ということの意味

「見えない努力を見る」ということは、単なる「ねぎらい」ではありません。それは、組織の全体像を正確に把握するための必要な行為でもあります。スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも、家庭という小さな組織の中でも、「見えていない貢献」があることへの感受性が、その組織の文化をつくります。

「常勝できる組織」を目指すという栗山さんの言葉の意味も、こうした視点から考えると深みを増します。一時的な優勝チームは、突出した才能に依存するチームであることが多い。しかし常勝組織とは、表に出る人も、見えないところで支える人も、全員が「ここで頑張ることに意味がある」と感じられる環境のことではないでしょうか。

💡 ポイント:組織の強さは「見えない貢献」への敬意から生まれる

これは家庭にも通じます。家事・育児・家族のケアという、数字には現れない貢献を「見えている」と伝える言葉や行動が、家族という組織の安定を支えます。栗山さんが裏方スタッフに話を聞きに行く行動は、「あなたの存在が見えている」というメッセージを体で示すことでもありました。

引退を決めた投手の次の人生まで深く心配する——という番組公開情報で示された栗山さんの姿も、この延長線上にあります。選手としての「役目が終わった後」まで、一人の人間として見続ける。これほど徹底した「人を見る」姿勢は、教育者としても、親としても、私たちが学べる姿勢です。

スポンサー

自分を信じきれない——そんな夜に、話せる場所がある

「自分なんて」と思ってしまうとき、一人で抱えなくていい。オンラインカウンセリング「Kimochi」なら、好きな時間にプロに相談できる。

✔ 全員女性カウンセラーから選択可能 ✔ 初回1,000円オフクーポンあり ✔ スマホから完結

Kimochiカウンセリング

第5章:「恥をかける人が強い」——弱さが武器になる日

「恥」と「誠実さ」の関係

mi-molletのインタビューで確認された栗山さんの言葉に、「恥をかける人がいい指導者」というものがあります。この言葉は、初めて聞くと少し不思議に感じるかもしれません。恥をかくことを、なぜ積極的に評価するのでしょうか。

栗山さんが言う「恥をかける」とは、失敗を認めること、知らないことを正直に言えること、助けを求められること、感情をさらけ出せること——そういうことを指していると理解できます。プライドや権威を守るために「わかっているふり」をしない誠実さ。それが、部下や選手から本当の信頼を得るための条件だということです。

私たちの日常に引き寄せて考えてみましょう。職場での会議で「それはよくわかりません」と言える人と、わかっているふりをする人。子どもに向かって「お母さんも失敗した」と話せる親と、いつも正しい親でいようとする親。どちらの人間に、より深い信頼が生まれるでしょうか。

メニエール病という挫折が生んだもの

「恥をかける人が強い」という栗山さんの言葉の背後には、彼自身のメニエール病による引退という経験があるのではないかと感じます。

プロ野球選手として、体が思うように動かない。それをチームメイトに、コーチに、観客に見られながら試合に出る——それがどれほど「恥ずかしい」体験だったか。しかし同時に、その「恥をかいた経験」が、苦しんでいる誰かに寄り添う力になる。「自分もダメだった」という事実が、他者のダメさを責めない土台になる。

栗山さんは各インタビューで「今苦しくても、学校へ行けなくても、必ず自分が活きる時が来る」という趣旨の言葉を残しています。この言葉は、単なる励ましではありません。自分自身が経験してきた「最も活きていない時期」を越えてきた人間の、体感に基づいた確信なのだと思います。

スポンサー

体を動かすことが、自分を信じる根拠になる——LAVA体験

栗山監督が選手に言い続けた「自分を信じる力」は、日々の小さな積み重ねから育まれる。ヨガで汗をかくたびに、自分への信頼が少しずつ積み上がっていく。

✔ 全国店舗で体験レッスン受付中 ✔ 常温・ホットヨガを選択可 ✔ 初回限定価格あり

LAVA体験

独自考察①:「信じ切る」は、期待を手放すことだ

「信じている」と「期待している」の違いについて

栗山さんの言葉や行動を追っていくうちに、「信じ切る」というのは「期待する」こととは根本的に違うのではないか、という考えが浮かんできました。

私たちが誰かを「信じている」と言うとき、そこには往々にして「こうなってほしい」という期待が混じっています。期待通りの結果が出れば信じ続けられるし、期待が外れると「信じていたのに裏切られた」という感情が湧いてくる。つまり、そこにあるのは本当の「信じる」ではなく、「条件付きの期待」だったのかもしれません。

東洋経済オンラインのインタビューで確認された栗山さんの言葉——「信じ切れば、結果に納得がいく」——は、この違いを鮮やかに示しています。「信じ切った」ならば、どんな結果であれ納得できる。なぜなら、信じ切るという行為自体が完結しているからです。結果はその先にある、自分の制御外のものに過ぎない。

これは一種の「期待の手放し」ではないかと思います。「こうなってほしい」という自分の願望を一度横に置いて、「この人はこの人の歩みを歩んでいく」という事実をありのまま受け入れる。その前提の上で、「この人の可能性を、私は疑わない」と決める。これが、本当の「信じ切る」に近いものではないでしょうか。

40代になると、子どもの成長、パートナーの生き方、自分自身のキャリア——さまざまな場面で「思っていた通りにはならなかった」という経験が積み重なります。そのとき、「期待していたのに」という悲しみに向き合いながら、「それでも信じる」という選択ができるかどうかが、人間関係の深さを決めるのかもしれません。

独自考察②:40代だからこそ「信じる側」に立てる

「信じられる存在」から「信じる存在」へのシフト

20代のとき、私たちの多くは「誰かに信じてもらいたい」と思っていたはずです。自分の可能性を、才能を、努力を——誰かに認めてほしい、信じてほしいという気持ちが、前へ進む原動力になっていた時期があったと思います。

40代になるということは、その立ち位置が変化し始める時期でもあります。職場では部下や後輩ができ、家庭では子どもが自分の道を歩み始め、地域社会では「経験のある大人」として求められる場面が増える。気づけば「信じてもらう側」から、「信じる側」へとシフトしている。

栗山さんの「信じ切る」姿勢は、「信じる側」に立つことの豊かさを教えてくれます。誰かを信じることは、受け身の行為ではありません。積極的な意志の表明であり、時にはリスクを引き受けることでもある。そして、信じた相手がその信頼に応えたとき——それは「自分の決断が正しかった」という喜びではなく、「あの人が輝く瞬間に立ち会えた」という、もっと静かで深い喜びです。

mi-molletのインタビューで確認された「結果に関係なく、自分を褒めてほしい」という栗山さんの言葉は、この文脈でも輝いて見えます。「信じ切った自分」を、結果に関わらず認めてあげてほしい。そういう自分への評価の軸を持つことが、40代以降の人生を豊かにする鍵のひとつかもしれません。

独自考察③:「ダメな出発点」こそが最強の共感力になる

弱さの経験が「見える力」を育てる

栗山さんの指導者としての強みの根幹に、「ダメな選手だった」という出発点がある——これは、私が最も興味深いと感じるポイントです。

一般的に、私たちは「優れた人物」から学ぼうとします。成功者の言葉を聞き、実績のある人の方法論を真似しようとする。それ自体は悪いことではありません。しかし、「苦しんでいる誰かに寄り添う力」という点においては、成功の経験よりも、失敗や挫折の経験の方がはるかに役に立つことがあります。

メニエール病で思うように動けなかった体の感覚。プロとして「まともに機能できていない」という悔しさと情けなさ。その記憶があるから、調子の出ない選手の顔を見たときに、心の底から「その苦しさ、わかる」と言える。これは技術ではなく、経験が生んだ共感力です。

40代という時期は、「何かができなくなった」「思っていたより遠い場所に今いる」という経験が増える時期でもあります。体力の変化、キャリアの思い違い、関係性の変容——そういう「ダメな経験の積み重ね」が、実は誰かを深く理解するための財産になっていく。栗山さんの生き方は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれます。

著書『栗山ノート』の中で栗山さんが引用している吉田松陰の言葉、「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」——誠意を尽くして動かない者はいない、という意味のこの言葉は、「ダメな自分」の経験を誠実に抱えてきた者だからこそ、言葉の重量として届くのかもしれません。

独自考察④:誠意の手紙——デジタル時代の「正面突破」

「速さ」より「重さ」が人の心を動かす時代に

ダルビッシュ選手の招聘において、栗山さんが「手紙」という手段を選んだことは、今の時代において特別な意味を持つと思います。

メールでも、SNSのメッセージでも、ビデオ通話でも——コミュニケーションの手段は無数にあります。にもかかわらず、わざわざ紙に言葉を書き、封筒に入れ、相手のもとに届ける。この「手間」を選ぶことが、すでにひとつのメッセージです。「あなたのために時間と手間をかけることを、私は惜しまない」という意志の表明です。

さらに、ダルビッシュ選手の妻・聖子さんへの手紙という行動は、「選手本人だけでなく、家族の立場まで考えている」という視野の広さを示しています。家庭を持つ人間にとって、国際大会への参加がいかに家族への影響を伴うか。その現実をきちんと見た上で、それでも来てほしいという想いを、家族への敬意として形にした。

私たちの日常でも、「正面突破」の力は見直されていいと思います。気持ちを伝えるとき、相手の都合を気にして遠回しなメッセージを送るより、直接会いに行く、手書きで書く、電話をかける——そういう「古い」とも見える手段が、かえって人の心に深く届くことがある。栗山さんの行動は、その可能性を思い出させてくれます。

独自考察⑤:「結果に関係なく、自分を褒めてほしい」という言葉の重さ

自己評価の軸を「結果」の外に置くこと

mi-molletのインタビューで確認された「結果に関係なく、自分を褒めてほしい」という栗山さんの言葉は、一読して驚くほどシンプルで、しかし深く考えるほど重さを増す言葉です。

現代社会、特に40代の女性が置かれている文脈では、「結果」で評価されることへのプレッシャーは非常に強くあります。仕事の成果、子育ての成功、自分のキャリア、容姿の維持——さまざまな側面で「結果を出したか」によって自分の価値を測るような空気があります。

栗山さんが言う「結果に関係なく」は、怠惰を許容することではありません。むしろ逆です。全力を尽くした上で、結果がどうあれその「全力を尽くした自分」を褒めてあげてほしい——そういう意味だと理解できます。

これは、「プロセスを大切に」という月並みな言葉とも少し違います。栗山さんが言っているのは、より個人的な、「自分自身との関係」についての話です。外からの評価ではなく、内側から自分を認める眼差しを持てるか。「信じ切って行動した自分」を、その結果とは切り離して評価できるか。

著書『信じ切る力』(光文社)のタイトルが示すように、「信じ切る力」は他者に向けられるだけでなく、自分自身に向けられるものでもあります。自分を信じ切って行動した自分を、結果によらず肯定できる——これが、長く走り続けるための心の燃料になるのではないでしょうか。

「負けの99%は自滅である」という著書『栗山ノート』に記された言葉と、この「自分を褒めてほしい」という言葉は、矛盾するように見えて、実は一枚の硬貨の表と裏です。自滅しないためには、自分への厳しさが必要。しかし同時に、自分を認める柔らかさがなければ、その厳しさは自己否定へと転じてしまう。その両方が必要で、それを両立させることが、長い人生を走り切るための知恵なのかもしれません。

終章:心に火を灯すのは誰か

「心に火を、ともに未来を」——2025年2月17日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」での栗山英樹さんの回のタイトルです。このタイトルには、栗山さんの哲学の核心が凝縮されているように感じます。

「心に火を灯す」とは、何でしょうか。燃やすのは自分自身の熱量ではなく、誰かの心の中にある、まだ火のついていない可能性の芯のこと——そう読むことができます。指導者の仕事は、自分が燃え盛ることではなく、誰かの火種を見つけ、そっと息を吹きかけることだ、と。

そして「ともに未来を」。未来は、一人では作れない。信じ切れる誰かがいて、信じ切ってもらえる誰かがいて、その関係の網の目の中に、少しずつ「ともに」の未来が織り込まれていく。

栗山さんが2024年から担うCBOという役職も、「常勝できる組織」を作るというビジョンも、この「ともに」という視点から来ているのでしょう。自分が輝く場所を作るのではなく、みんなが輝ける場所を作る。その設計者として、今また新しいフィールドを歩いています。

WBC2023の前、栗山さんは色紙に「夢は正夢」と記したとされます(各メディアの取材記事で確認)。夢は、見るだけのものではなく、現実になるもの——そう信じ切ることが、夢を正夢にするための第一歩だということです。

✅ この章のまとめ

栗山英樹さんの歩みが示すのは、「信じ切る」という行為が、相手への贈り物であると同時に、自分自身を豊かにする実践でもあるということです。誰かを信じ切ることで、自分の中の「信じる力」も鍛えられていく。その積み重ねが、「心に火を灯す」人になるための道なのかもしれません。

スポンサー

「夢は正夢」——夢を育てる眠りを、GOKUMINと

栗山監督がWBC前に色紙に記した「夢は正夢」という言葉。大きな夢を抱くのに、睡眠の質は馬鹿にできない。

✔ 整形外科医推薦の体圧分散設計 ✔ 100日間返品保証 ✔ 家族・ペアで選べるサイズ展開

GOKUMIN マットレス

今日から始める3つのこと

栗山さんの哲学を読み解いてきて、最後に具体的なアクションに落とし込みたいと思います。「信じ切る」は、哲学として理解するだけでなく、日常の中で実践してこそ意味を持ちます。

アクション 具体的な形 栗山哲学との接続
1. 誰かに「信じている」と言葉にする 子ども・パートナー・同僚に、結果ではなく存在への信頼を伝える言葉を一言かける 「信じ切れば、結果に納得がいく」——言葉にしなければ伝わらない信頼がある
2. 「恥をかく」練習をする 「実はよくわからない」「失敗した」と正直に言える場面を意識的につくる 「恥をかける人がいい指導者」——弱さを見せる勇気が信頼を育てる
3. 頑張った自分をそのまま褒める 一日の終わりに「結果に関わらず、今日全力を尽くした自分」を認める時間を持つ 「結果に関係なく、自分を褒めてほしい」——自己肯定の軸を自分の内側に置く

これらは小さな実践に見えますが、続けることで確実に自分の中の何かが変わっていきます。「信じ切る」という力は、筋肉と同じで、使わなければ衰え、使い続けることで育ちます。

💡 今日のひとつから始める

三つ全部を一度にやろうとしなくていいです。今日一日の中で、誰かに「あなたを信じている」という意味を持つ言葉や行動をひとつだけ選んで、やってみてください。それが栗山さんの哲学を、あなたの日常に迎え入れる第一歩です。

💡 まとめ:「信じ切る」ということの全体像

栗山英樹さんの言葉と行動から学んだことを、最後にまとめます。

  • 「信じ切る」とは、期待を手放した上で、相手の可能性に賭け続けることだ
  • 「信じ切る」力は、誠意の形(直接会いに行く・手紙を書く・正面突破する)と一体になって初めて相手に届く
  • 「恥をかける人が強い」——弱さを正直に見せる勇気が、本当の信頼関係の基盤を作る
  • 「ダメな出発点」の経験が、苦しむ誰かへの共感力を育て、指導者としての深みになる
  • 「結果に関係なく自分を褒める」ことは、長く走り続けるための心の燃料になる
  • 40代は「信じられる側」から「信じる側」へのシフトが起きる時期——その豊かさを受け取っていい

栗山さんのような輝かしい実績がなくても、私たちは日常の中で「信じ切る」を実践できます。子どもの可能性を信じ切ること。パートナーの選択を信じ切ること。そして、何より、自分自身の歩みを信じ切ること。

「夢は正夢」——その言葉をポケットにしまいながら、今日という一日を歩んでみてください。

引用元・参考資料

  • 栗山英樹『栗山ノート』光文社
  • 栗山英樹『栗山ノート2 世界一への軌跡』光文社
  • 栗山英樹『監督の財産』光文社
  • 栗山英樹『信じ切る力』光文社
  • 東洋経済オンライン「栗山英樹『信じ切る』に至れば結果に納得がいく」
  • 東洋経済オンライン「WBC栗山監督、不振の村上を使い続けた『熱い理由』」
  • mi-mollet「栗山英樹が考える”いい指導者”とは『恥をかける人』」
  • mi-mollet「『今苦しくても、学校へ行けなくても、必ず自分が活きる時が来る』」
  • TVガイドWeb「プロフェッショナル 仕事の流儀 栗山英樹」2025年2月17日放送回
  • NHK公式「心に火を、ともに未来を ~チーフ・ベースボール・オフィサー 栗山英樹~」2025年2月17日放送
ABOUT ME
グレイス
考察好きなブロガー。「問いのアトリエ ─ 心・信・史・美」を運営。心理・哲学・歴史・美意識をめぐる長文の考察記事を中心に執筆中。