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早わかり

  • 申し込みボタンの前で手が止まるのは、優柔不断だからではありません
  • 臨床心理士の藤掛明さんは、しんどいときの反応を「背伸び・強行突破」型と「甘え・へたり込み」型に分けています(『ありのままの自分を生きる』p.16-17)
  • 手が止まる人の多くは前者。強さで乗り切ってきたぶん、助けを求める回路を使っていないだけです
  • ヘンリー・クラウドは、必要があるときに身を引いてしまう人を「回避的」と呼びました(『境界線』p.84)
  • 止まる理由は5つに整理できます。理由がわかれば、押すか押さないかを自分で決められます
  • 押さない、という結論も正解のひとつです

オンラインカウンセリングの申し込み画面まで行って、そこで閉じた。

一度ではなく、何度か。ブックマークだけが残っている。

そういう経験がある方に向けて書いています。ここでお伝えしたいのは「早く申し込みましょう」ではありません。むしろ逆で、なぜ手が止まるのかを言葉にしないまま何度も同じ画面を開くことのほうが、消耗が大きいのではないかと思うのです。

理由がはっきりすれば、申し込むにしても、やめるにしても、そこで一区切りつきます。

手が止まるのは、迷っているからではない

「迷っている」という言葉は便利ですが、実はあまり中身がありません。値段で迷っているのか、相手が知らない人だから迷っているのか、そもそも自分が相談していい立場なのか迷っているのか。全部ちがう問題です。

そして多くの場合、止まっているのは判断ではなく、もっと手前のところです。

助けを求める、という動作そのもの。ここが動かない。

お金の話も、相性の話も、その手前で止まっているものを覆い隠す説明として使われていることがあります。値段が半額になったら押せるのか。たぶん、押せません。

「背伸び・強行突破」型という心性

臨床心理士の藤掛明さんは、著書『ありのままの自分を生きる——背伸びと息切れの心性を超えて』のなかで、人が困難に直面したときの反応を大きく二つに分けています。

ひとつが「背伸び・強行突破」型。もうひとつが「甘え・へたり込み」型です。

前者は自分の強さや有能さを過剰に表現する方向へ動く。後者は自分の弱さを積極的に表現する方向へ動く(p.16-17)。

ここで大事なのは、藤掛さんがどちらが良いとは言っていないことです。優劣ではなく、型のちがい。そう書かれています。

この整理を借りると、申し込みボタンで手が止まる人の多くは、前者にあたります。

強さで乗り切ってきた人ほど、回路が細い

背伸び・強行突破型の人は、これまでの困難を「なんとかする」ことで越えてきています。仕事も、家のことも、人間関係も。だから困難そのものには慣れている。

慣れていないのは、越えないという選択のほうです。

助けを求めるという行為は、「自分ではなんとかできません」と一度認めることを含みます。強行突破で二十年やってきた人にとって、これは技術的に難しい。性格が弱いのではなく、単純に使ってこなかった筋肉なのだと思います。

使っていない筋肉が動かないのは、当たり前のことです。

「甘え」だと思ってしまう

もうひとつ厄介なのは、助けを求めることを自分で「甘え」と名づけてしまう癖です。

藤掛さんの分類では、甘え・へたり込み型も背伸び型と並列に置かれた、ただの型でした。どちらも人間の反応であって、片方が堕落ということではない。

けれど背伸び型の内側では、しばしばそれが道徳の問題にすり替わります。相談する自分は、弱い。弱いのは、良くない。

この置き換えが起きているかぎり、申し込みボタンは押せません。押すことが、自分にとって負けを意味してしまうからです。

「回避的」という言い方

ヘンリー・クラウドは『境界線(バウンダリーズ)』のなかで、こういう状態を別の角度から説明しています。

自分の必要を認識し、他者に中に入ってもらい、助けを求めることができない。そういう人たちを彼は「回避的」と呼びました。回避的な人たちは、自分に必要があるときにこそ身を引いてしまう(p.84)。

この一文の怖いところは、「必要があるときに」という条件です。

平気なときに人を遠ざけるのではありません。いちばん必要なときに限って、遠ざかる。しんどさが増すほど、人に言わなくなる。

心当たりがある方は、少なくないのではないでしょうか。

「必要なとき」ほど遠ざかる、の実際

クラウドの指摘のなかで、いちばん実感しやすいのは次の光景ではないかと思います。

調子がいい時期には、友人の誘いに応じられる。連絡もまめに返せる。ところが本当にしんどい週になると、返信が止まり、誘いを断り、家から出なくなる。

人が必要な時期に、人から離れる。

本人の中では、これは配慮です。こんな状態で会っても楽しくないだろう、迷惑をかけるだけだろう、と。

ただ結果として起きているのは、支援が必要なときに支援を遮断する、ということです。悪意はどこにもないのに、いちばん困った瞬間に一人になる。

申し込みボタンの前で閉じる行為も、これと同じ形をしています。しんどいから調べた。しんどいから閉じた。同じ理由で、両方が起きています。

他者からの支援を求めない、という自動運転

クラウドはこれを、意志の弱さとしてではなく、境界線の引き方の問題として扱っています。自分と他人のあいだに引かれた線が、内側を守るためではなく、誰も入れないために引かれてしまっている状態。

守るための壁が、いつのまにか閉じ込めるための壁になっている。

だから「勇気を出して申し込みましょう」という励ましは、あまり効きません。勇気の問題ではなく、線の引き直しの問題だからです。

「回避的」と「自立している」は、どう違うのか

ここで一度、立ち止まっておきたいことがあります。

人に頼らないことを、私たちはふつう「自立」と呼びます。それは良いこととされている。だとすれば、クラウドの言う「回避的」と自立は、どこが違うのでしょうか。

見分け方は、たぶん一つだけです。

選べるかどうか。

自立している人は、自分でやることもできるし、必要なら人に頼ることもできます。二つの回路があって、状況で使い分けている。

回避的な状態にある人は、頼るという回路が最初から選択肢に入っていません。だから、いつも自分でやる。結果として自立に見えますが、中身は「それしかできない」です。

外から見た行動は同じでも、内側の構造がまったく違います。

本人にはこの違いが見えにくい

やっかいなのは、内側からだと区別がつかないことです。

頼らずにやり遂げるたびに「やっぱり自分でできた」という結果が返ってきます。この成功体験が積み重なるので、回路が一つしかないという事実に気づく機会がありません。

気づくのは、たいてい、できなくなったときです。

四十代でこの気づきが来ることが多いのは、単純に負荷が増えるからだと思います。二十代のころと同じやり方で、二倍の量をさばこうとすれば、いつか回らなくなります。回らなくなって初めて、もう一つの回路が必要だったと知る。

そのタイミングで検索して、申し込み画面まで来ている。おそらく、そういうことです。

言えなくなるまでに、何があったか

助けを求めない癖は、生まれつきのものではありません。どこかで学習されています。

思い当たるものがあるかどうか、いくつか挙げてみます。

言っても届かなかった経験

子どものころ、しんどいと言ったときに、忙しいと返された。あるいは、そんなことで、と言われた。

一度や二度なら残りません。繰り返されると、「言う」という行動のコストだけが記憶に残ります。言っても状況は変わらず、言った自分が惨めになるだけだった。それなら言わないほうが合理的だ、と学習します。

この学習は正しかったのです。当時は。

問題は、当時の環境で最適だった戦略を、今も使い続けていることのほうです。

頼られる側に置かれ続けた

きょうだいの上、親の相談相手、職場の窓口。誰かの受け皿として機能してきた時間が長い人ほど、求める側に立つ姿勢そのものが慣れないものになります。

受け皿である自分には、はっきりした居場所があります。その居場所を手放してまで、頼る側に回るのは怖い。役に立たない自分に価値があるのか、確かめたことがないからです。

弱さを見せた結果、関係が変わった

一度だけ本音を話したら、相手の態度が変わってしまった。あるいは、話した内容が別のところで話題になっていた。

これがあると、以後の防御は固くなります。当然です。

クラウドは、境界線が守るためのものであると同時に、閉ざすものにもなりうると書いています。一度傷ついた場所を守る線は、必要以上に厚くなりがちです。

「大丈夫」と言うのが上手くなった

最後に、これがいちばん静かに効きます。

大丈夫と言えば場が収まる。心配させない。話が長くならない。そうやって何百回も言っているうちに、大丈夫ではないときの言い方を、忘れます。

言葉が出てこないのは、感情がないからではありません。使っていない語彙が錆びているだけです。

40代で、急に言えなくなる

二十代のころは、もっと軽く人に話せた気がする。そう感じる方もいると思います。

これには事情があります。

役割が増える

親であり、子であり、職場では中間にいる。相談を受ける側に回る時間が、圧倒的に増えます。受ける側の顔をしている時間が長いほど、求める側に戻るのが難しくなります。

相手に負担をかけるとわかってしまう

四十代になると、聞かされる側の大変さも知っています。友人にも生活があり、親にも老いがある。だから配慮して、言わない。配慮は優しさですが、それが常態化すると、話せる相手がゼロになります。

話すと崩れそうな気がする

ぎりぎりで回している人ほど、これがあります。一度でも口に出したら、そこから全部だめになりそうな感じ。だから触らない。

言葉にできない

具体的な事件がないタイプのしんどさは、説明が難しいものです。何かあったわけではない。ただ、重い。これを人に伝える言葉を、私たちはあまり持っていません。

手が止まる5つの理由と、そのほどき方

①「こんなことで」と思う

いちばん多いのが、これだと思います。もっと大変な人がいる。自分程度で専門家の時間を取るのは申し訳ない。

この比較には、実は基準がありません。誰と比べたら相談していいのか、その線を引いてくれる人はどこにもいないからです。線がない以上、比較はいつまでも終わりません。

ほどき方:比べるのをやめて、期間で見ます。同じことを三か月以上考え続けているなら、それは軽いことではありません。重さではなく、続いている長さで判断してください。

②お金を出す価値があるか判断できない

これは正当な迷いです。カウンセリングは効果が数値で見えるものではなく、しかも安くはありません。

ここで大切なのは、サービスの料金体系を先に正確に知ることです。単発で試せるものなのか、月額制なのか、最低利用期間があるのか。それがわからないまま「たぶん高い」と思って閉じているなら、判断ではなく保留を繰り返しているだけになります。

ほどき方:総額を先に計算してから考えます。月額いくらではなく、最低利用期間を掛けた総額です。その数字を見て高いと思ったら、申し込まない。それは立派な判断です。

③知らない人に話すのが怖い

身近な人に話せないのに、なぜ知らない人になら話せるのか。そこが腑に落ちないという方もいます。

実際には、逆のことが起きます。身近な人には、話したあとの関係が続きます。今日話したことが来週の食卓に影響する。だから話せない。

関係が続かない相手だからこそ、話せることがある。カウンセリングの構造上の利点は、たぶんここにあります。

ほどき方:「近い人ほど話しやすい」という前提を、いったん外してみてください。

④解決を求められている気がする

相談したら、何かを変えなければいけない。離婚するとか、辞めるとか、そういう決断を迫られるのではないか。

この不安があると、申し込みは重い決断になります。実際には、話すこと自体が目的の時間として設計されていますが、そうと知らなければ怖くて当然です。

ほどき方:初回に「今は決めたくない、整理したいだけです」と伝えていい、と知っておくことです。伝えていい、と知っているだけで重さは変わります。

⑤自分で何とかすべきだと思う

背伸び・強行突破型の中心にあるのが、これです。

ただ、クラウドは同じ本のなかで、少し違う角度からも書いています。他人がいつも自分の意のままに駆けつけてくれるわけではないと知ることで、外にばかり助けを求めるのではなく、内側に向かうようになる(p.309)。

つまり彼は、外に求めることと自分で背負うことの両方を扱っています。どちらか一方が正解ではありません。

問題は、自分にその両方の選択肢があるかどうかです。自分で背負うことしかできないなら、それは強さではなく、選択肢が一つしかない状態です。

ほどき方:「自分で何とかする」を捨てる必要はありません。もう一つの回路を、使えるようにしておくだけです。

押す前にしておくと、少し楽になる3つのこと

申し込むと決めた場合でも、決めていない場合でも、やっておいて損のない準備があります。準備をすること自体が、止まっている状態から一歩動くことでもあります。

①話したいことを、三つだけ書く

整理してから行こうとすると、いつまでも行けません。整理できないから困っているからです。

そこで、整理ではなく列挙にします。順番も因果関係も要りません。今ひっかかっていることを、三つだけ書き出す。

「夫の言い方」「朝がしんどい」「母のこと」。この程度で構いません。

三つあれば、初回の五十分は持ちます。そして書き出した瞬間に、自分が何にひっかかっているのかが、少しだけ外から見えるようになります。

②総額を、先に計算する

月額の数字だけを見て判断すると、あとで負担感が出ます。月額に最低利用期間を掛けた金額を、先に出しておいてください。

その総額を見て「これは払える」と思えるなら進む。「これは無理だ」と思うなら、進まない。

ここではっきり決めておくと、途中でやめたときの後悔が減ります。予算内で終わったことは、失敗ではありません。

③医療の線を、先に引いておく

カウンセリングと医療は別のものです。この線を自分の中で引いておくと、選択がずっと簡単になります。

目安として、眠れない・食べられない・朝起き上がれないという身体の症状が二週間以上続いているなら、まず医療機関です。話を聞いてもらうことより、休養や治療が先になります。

逆に、生活は回っているけれど気持ちの整理がつかない、という状態であれば、話す場のほうが向いています。

どちらか迷う場合は、医療を先に選んで問題ありません。医療機関で「その必要はない」と言われることは、悪い結果ではないからです。

押したあと、実際には何が起きるのか

未知が大きいほど、決断は重くなります。ここは想像で膨らませないほうがいい部分なので、一般的な流れを簡単に書いておきます。

まず、申し込みの直後に何かが始まるわけではありません。日程を選ぶ段階があり、そこから実際の面談まで日数があります。押した瞬間に人生が動き出すわけではない、というのは知っておいていいことだと思います。

初回の時間は、多くの場合、これまでの経緯を聞かれることに使われます。うまく話す必要はありません。「何から話せばいいかわからない」と最初に言えば、たいてい相手が順番を作ってくれます。それが仕事だからです。

そして、初回で結論は出ません。出ないのが普通です。

ここを期待しすぎると、一回受けて「意味がなかった」という感想になりやすい。整理の作業は、たいてい二回目以降に効いてきます。

合わないと感じたときにどうするか

相性が合わないと感じることは、珍しくありません。そのときに我慢して続けるのが誠実だ、ということはまったくありません。

多くのサービスには担当者を変更する仕組みがあります。あるかどうか、どういう手続きなのかは、申し込む前に確認できる項目です。

先に確認しておくと、「合わなかったらどうしよう」という不安が、事前に一つ減ります。

一度やめた人へ

過去に申し込んで、途中でやめた。あるいは数回受けて、合わないと感じた。

その経験があると、次の一歩はむしろ重くなります。一度試して駄目だったのだから、自分には向いていないのだ、と。

ただ、やめた理由を振り返ってみると、多くは次のどれかです。

  • 担当者との相性が合わなかった
  • 話す内容が整理できないまま時間が終わった
  • 効果を実感する前に期間が終わった
  • 料金の負担が続かなかった

このうち、「カウンセリングという方法が自分に合わない」と言えるのは、実は一つもありません。全部、条件の問題です。

相性なら担当を替える。整理できないなら、話したいことを三つだけ書いてから臨む。期間なら、最初から必要な回数を見込んで選ぶ。料金なら、総額が続く範囲のプランにする。

一度やめた経験は、失敗ではなく情報です。次に選ぶときの条件が、はっきりしただけとも言えます。

「話す」は、解決とは別のはたらきをする

申し込みが止まる背景には、もう一つ、あまり語られない前提があります。

話しても、状況は変わらない。

これは、事実としては正しいのです。夫の性格は変わりませんし、親の介護は減りません。職場の人間関係も、話したからといって明日から良くなるものではない。

だから「話しても意味がない」という結論になる。理屈としては筋が通っています。

ただ、この理屈には一つだけ抜けているものがあります。

状況は変わらなくても、抱え方は変わる

同じ荷物でも、両手で抱えて歩くのと、背負って歩くのとでは、進める距離がまるで違います。

話すという行為がしていることは、荷物を減らすことではなく、持ち方を変えることに近いのだと思います。

頭の中にあるあいだ、悩みは輪郭を持ちません。全部がつながっていて、どこからどこまでが一つの問題なのかわからない。だから重い。

口に出すと、そこに区切りが入ります。「これは夫の話」「これは自分の疲れの話」「これは母の話」。区切られた瞬間、量は同じでも、扱える形になります。

解決していません。でも、持てるようになる。

自分ひとりでは区切れない

ではノートに書けばいいのでは、と思われるかもしれません。実際、書くことには効果があります。

ただ、一人で書いていると、区切る場所を自分で決めることになります。そして人は、自分にとって都合の悪いところに区切りを入れません。いつもの場所に、いつもの線を引いてしまう。

他人が入ると、そこがずれます。「今、その話をするときに声が小さくなりましたね」というような、自分では気づかない場所を指してくる。

この、自分では引けない場所に線が入ることが、人に話すことの実質的な機能なのではないかと思います。

クラウドは、自分の必要を認識して他者に中に入ってもらうことができない状態を問題として扱いました(『境界線』p.84)。中に入ってもらう、という言い方が正確なのだと思います。荷物を渡すのではなく、入ってもらう。

それでも今日は押さない、という選び方

この記事を最後まで読んで、それでも押さなかったとします。

それは、何も起きなかったということではありません。

止まる理由が五つのうちどれだったのか、今日は少し見えたはずです。①こんなことで、なのか。②お金なのか。③知らない人が怖いのか。④決めさせられるのが怖いのか。⑤自分でやるべきだと思っているのか。

どれかがわかっていれば、次に同じ画面を開いたとき、迷う時間は短くなります。

そして、理由によっては、カウンセリング以外の答えが正しいこともあります。⑤が理由なら、必要なのは相談ではなく、誰かに一つだけ用事を代わってもらうことかもしれません。②が理由なら、自治体の無料相談窓口という選択肢もあります。

選択肢を知ったうえで選ばないことと、選択肢を知らずに閉じることは、まったく別のことです。

前者は、決断です。

押さなくていい場合もあります

ここまで書いてきましたが、申し込まないほうがいい状況もあります。

まず、眠れない・食べられないが二週間以上続いているとき。これはカウンセリングより先に、心療内科や精神科です。話すことより、休むことや治療が先になります。

次に、お金の負担が明確に生活を圧迫するとき。負担が新しい心配ごとになるなら、本末転倒です。

そして、今日は疲れすぎているとき。決めるという行為自体にエネルギーが要ります。疲れているときの決断は、たいてい後悔します。

閉じてしまってかまいません。ブックマークに戻して、寝てください。

よくある質問

何度も申し込み画面で止まってしまいます。異常でしょうか

異常ではありません。臨床心理士の藤掛明さんは、困難への反応を「背伸び・強行突破」型と「甘え・へたり込み」型に分け、どちらが良いというものではないと書いています(『ありのままの自分を生きる』p.16-17)。手が止まりやすいのは前者の傾向で、これまで自力で乗り切ってきた人ほど、助けを求める動作に慣れていないだけです。

身近な人に話せないのに、知らない人になら話せるものでしょうか

むしろ知らない人のほうが話しやすいことがあります。身近な相手には話したあとの関係が続くため、今日話した内容が来週の食卓に影響します。関係が続かない相手だからこそ話せる、という構造上の利点があります。

相談したら、離婚や退職など何かを決めさせられますか

そういう場ではありません。整理したいだけで決めたくない、と初回に伝えてかまいません。伝えていいと知っているだけで、申し込みの重さは変わります。

一度やめた経験があります。もう向いていないのでしょうか

やめた理由の多くは、担当者との相性・話す内容が整理できなかった・期間が短かった・料金が続かなかった、のいずれかです。これらはすべて条件の問題で、「方法そのものが合わない」という結論にはなりません。次に選ぶときの条件が具体的になった、と考えることができます。

申し込まないほうがいいのはどんなときですか

眠れない・食べられない状態が二週間以上続いているときは、カウンセリングより先に心療内科や精神科の受診を検討してください。また、料金の負担が生活を圧迫する場合や、その日ひどく疲れている場合も、決断を先に延ばしたほうが安全です。

おわりに

助けを求められないことは、性格の欠点ではありません。使ってこなかった回路が動かないだけです。

そして、その回路を今日いきなり動かす必要もありません。

止まる理由に名前がついた。今日のところは、それで十分だと思います。名前がついたものは、次に会ったときに少しだけ扱いやすくなります。

参考文献:藤掛明『ありのままの自分を生きる——背伸びと息切れの心性を超えて』/ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント『境界線(バウンダリーズ)』

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グレイス
考察好きなブロガー。日々の心の重荷を、心理・思想・歴史・暮らしの知恵から静かにほどく——そんな長文の読み物を「日常の温もり」で綴っています。