「生きるということ」フロム要約|持つとあるを日常の場面で解説
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早わかり
- 『生きるということ』は、生き方の重心を「持つ」から「ある」へ移すよう提案する本です
- 著者フロムは、人の性格が「持つ」優位から「ある」優位へ変わらなければ、心と経済の破局は避けられないと考えます
- 読みどころは第二章です。学習や会話など8つの場面で、二つの様式の違いが書き分けられています
- 第二篇では二つの様式の違いが掘り下げられ、失う不安や死の恐れにも話が及びます
- 本記事の暮らしの例と40代以降の読み方は筆者の置き換えで、本に書かれた例ではありません
『生きるということ』を一言で要約すると、生き方の重心を「持つ」から「ある」へ移す提案の本です。
原題は To Have or to Be? で、原書は1976年に出ています。日本語訳は佐野哲郎訳で、紀伊國屋書店から1977年に刊行されました。
本記事では、本の主張と、筆者による暮らしへの置き換えを分けて書きます。筆者が本を読んで暮らしが変わったと伝える体験記ではありません。
ページ番号は、紀伊國屋書店版の1984年第16刷のものです。版によってずれる場合があります。
「生きるということ」の要約|結論は「持つ」から「ある」へ重心を移すこと
フロムの結論は、持つことで自分を支える割合を減らし、あることで自分を支える割合を増やすことです。
著者は、重心を移すことを社会の破局を避ける条件として論じます(p225)。個人の側では、失う不安や死の恐れを弱める道としても示します(第六章)。
3行でわかる本の主張
本の主張は、次の3行に絞れます。
- 人が世界と関わるやり方には、持つ様式とある様式の二通りがある。どちらか一方だけで生きている人はいない(第一章)
- 現代社会は、多く持てば幸せになれると約束してきたが、約束は果たされなかった(はしがき・序章の題)
- 人の性格が「持つ」優位から「ある」優位へ変わってはじめて、心の破局と経済の破局を避けられる(第八章 p225)
持つ様式が向かう先は、ものだけではありません。著者は、次のようなものまで持つ対象になると見ています。
- 知識や意見
- 恋人や家族
- 肩書き
- 自分自身
持っているものを自分だと思うほど、人は失う不安に縛られます。著者の議論が向かうのは、ものの量より、ものや人との関わり方です。
「持つ様式」と「ある様式」の違いを1枚の表で整理する
表の項目立ては筆者の整理です。中身は、第一章・第二章・第六章・第八章の記述をもとにまとめました。
| 持つ様式 | ある様式 | |
|---|---|---|
| 関わり方 | 自分のものにして、貯め込む(第一章 p33〜) | 関わるたびに生き生きと応じ、自分も変わっていく(第一章 p33〜) |
| 人と会うとき | 過去の実績や地位、人脈を持ち出して見せる(p58) | 準備より、いま目の前の相手に応じる。今いる場所に十分に居る(p58、p228〜230) |
| しがみつき方 | 持つものは失いうるので、持つほど守りに入る(p151〜) | しがみつくものがないので、新しい考えが出てくる(p58〜59) |
| 人との関係 | 相手を自分のものにし、縛ろうとする(p72) | 相手の話に全身で応じ、勝ち負けではなく喜びを持って別れる(p58〜59) |
著者は、どちらか一方の様式だけで生きている人はいないと考えます。
日常の8つの場面で読む「持つ」と「ある」(第二章)
第二章は、学習や会話といった日常の8つの場面で、持つ様式とある様式の違いを示す章です。
章全体はp51〜75の約25ページで、1つの節は2〜5ページほどしかありません。各節では、本の記述を持つ側とある側に分けてまとめました。枠で囲んだ暮らしの例は筆者の置き換えで、本に書かれている例ではありません。
学習すること:書き写して覚えるより、聞きながら考えが動くほうが「ある」
学習の場面では、講義の言葉を持ち帰る学び方が持つ様式で、聞きながら自分の考えが動く学び方がある様式です。
持つ側:持つ様式の学生は、講義の言葉を書き写して覚え、持ち帰ります。書き写した言葉は自分の考えと結びつきません。手元の持ちものが一つ増えるだけです(p52)。
ある側:ある様式の学生は、前もって題目を自分なりに考え、疑問を持って講義に臨みます。聞いているあいだに自分の考えが動き、新しい問いが生まれるのです。講義が終わるころには少し変わった人間になっている、と著者は書きます(p53)。
中身の薄い話なら、聞き流して自分で考えることに集中してもかまわない、とも述べられています(p53)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
会社の研修で、資料を保存して受講記録が残れば、研修を受けたことにはなります。「自分の部署なら何を変えるか」を一つ持ち帰る受け方は、ある側に近い受け方です。学び直しも、資格の数より、判断の仕方が一つ変わったかで測る見方ができます。
想起すること:機械的に呼び出すより、ほかの事柄と生きた形で結び直す
思い出す場面では、決まったつながりで機械的に呼び出すのが持つ様式、ほかの事柄と生きた形で結び直すのがある様式です。
持つ側:持つ様式の想起は機械的です。思い出す言葉は、いつも一緒に出てくる言葉か、反対語のような理屈の上のつながりで出てくるだけです(p54)。
ある側:ある様式では、思い出すことが、一つの事柄をほかの事柄と生きた形で結び直す作業になります(p54〜55)。著者は、一つの言葉から原因になりそうな別の事柄を思い浮かべれば、考えることにつながると例を挙げます。
著者自身の、分析家としての経験も書かれています。ずっと前に会った人の顔や夢を、相手の全体像に集中して思い描いて呼び戻せた経験です(p54〜55)。強い関心がなければ記憶は働かない、と著者は念を押しています。
持つ型の人は、顔や景色を写真を見るように思い出し、「ここは行った」と確かめるだけになります(p56)。紙に書き留めて安心し、頭に刻もうとしないのも、著者が挙げる持つ型の例です(p56)。ただし著者は、覚える情報が多い今の暮らしでは、ある程度の記録は避けられないとも認めています(p56)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
本のp56にある写真の話を、スマホに置き換えた例です。スマホの写真に残るのは、旅先に行った記録です。ところが、旅の一日を人に話そうとすると、何も出てこないことがあります。親の昔話を聞く前や旅の思い出を語る前に、写真を見ずに一度思い描いてみる置き換えができます。記憶力が上がるといった効果を、本が約束しているわけではありません。
会話すること:意見を守る会話は退屈になり、変わってもいい会話は喜びで終わる
会話の場面では、自分の意見を持ちものとして守るのが持つ様式、相手に応じて考えが変わってよいのがある様式です。
持つ側:持つ様式の人にとって、意見が変わることは何かを失うことです。だから会話の前から身構えます(p58)。大事な人に会う前には、話題や切り出し方を用意しておきます。
会う場では、次のような手持ちの品を並べて見せることになります(p58)。
- 過去の実績
- 人当たりのよさ
- 地位や人脈
- 見た目
見せ方が上手でないと、ぎこちなく退屈な会話になる、と著者は書いています。
ある側:ある様式の人は、準備をせずに目の前の相手に応じます(p58)。自分の知識や地位をいったん忘れ、相手と話の中身に全身で反応するのです。しがみつくものがないので、新しい考えが出てきます。
著者によれば、ある様式の会話は情報や地位の交換ではなくなります。誰が正しいかはもう問題になりません。二人は勝ち負けではなく、喜びを持って別れます(p58〜59)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
同窓会や会食の近況報告が、役職や子どもの進学の見せ合いになる場面があります。夫婦の話し合いでも、どちらが正しいかの決着が目的になりがちです。帰り道に、相手の話で自分の考えが少しでも動いたかを一つだけ確かめる置き換えが考えられます。
読書すること:結末や主張を覚えるより、著者に問いかけて読む
読書の場面では、結末や主張を覚えて持ち帰る読み方が持つ様式、著者に問いかける読み方がある様式です。
著者は、読書を書き手と読み手の会話と見ています。会話で起きることは、読書でも起きるわけです。誰の本を読むかも大事だと書かれています(p59)。
持つ側:安っぽい小説は、ながら見のテレビやお菓子のように消費されるだけだ、と著者は言います(p60)。すぐれた小説でも、結末を知りたい一心で読むと事情は変わりません。結末で盛り上がって話を全部持った気になっても、人間や自分への理解は深まっていないのです。
優秀な学生とされるのは、思想家ごとの主張をそらで正確に言える人です(p60〜61)。
ある側:ある様式の読み手は、読んでいる本の書き手に問いかけます(p61)。本の中の矛盾や、書き手が避けて通った問題に気づくのです。読みながら行う見分けは、次の3つです。
- 書かれた時代の常識と、本当に新しい点
- 頭だけで書いたものと、頭と心で書いたもの
- 本物か、本物ではないか
結果として、評判の高い本にほとんど価値がないと見ることもあります。書いた本人より深く理解することもある、とフロムは述べています(p61)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
読んだ冊数を記録し、要約アプリで読んだ本を増やしていく読み方があります。一冊を読み終えてから、著者への反論を一つ書き出す読み方もあります。前者は持つ側、後者はある側に近い読み方です。
要約記事を読むことも、持つ読書の一つになりえます。本記事は、最後の見出しに本へ問いかけるための問いを置きました。
権威を行使すること:肩書きに頼る権威と、あり方からにじむ権威は別物
権威の場面では、肩書きや地位で従わせるのが持つ様式、人としてのあり方から伝わるのがある様式です。
著者によれば、ほとんどの人は人生のどこかで権威をふるう側に立ちます。典型は子育てです(p62)。権威には、次の2種類があると著者は整理しています。
- 能力にもとづき、従う人の成長を助ける権威
- 力にもとづき、従う人から搾り取る権威
力がなくなれば、権威も終わります(p62)。
ある側:ある様式の権威は、命令や脅しに頼りません(p63)。成長してまとまった人間であること自体から、権威が伝わるのです。何を言うかより、どういう人であるかによって、人の可能性を示します。
子育てについて、著者は親自身に芯があれば、厳しくするか放任するかの対立はほとんど起きないと見ます。子どもは、自分に求める努力を大人がしていないと見抜くと反発する、とも書いています(p63)。
持つ側:大きな階層社会では、能力による権威が地位による権威に置き換わります(p63〜64)。はじめはあった能力が、制服や称号に変わっていくのです。称号さえあれば、中身がなくても権威が続きます。
著者が例に出すのは、裸の王様の話です。称号だけの権威を保つには、下にいる人が自分の目で見て批判的に考える力を鈍らせる必要がある、と著者は指摘します。一つの分野で有能な人が別の分野では無能なことや、権力や老いで力を失うことも起きます(p64)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
部長や親、地域の役員として、肩書きで言うことをきかせる場面があります。反対に「あの人が言うなら」と思われて、周りが動く場面もあります。役職定年や子の独立で肩書きが外れたとき、残る影響力はどちらか。スマホを手放せない親が子にスマホの時間を守らせようとして、反発される場面にも当てはまります。
知識を持つことと知ること:より多く持つより、より深く知る
知識の場面では、情報の量を増やすことを目指すのが持つ様式、深く知ろうとし続けるのがある様式です。
違いは「私は知識を持っている」と「私は知っている」の言い方の差に表れる、と著者は書きます(p65)。前者は、使える情報を手に入れて保っておくことです。後者は、考え続ける過程の中ではたらく知り方を指しています。
ある側:ある様式の知ることは、思い込みが崩れるところから始まります(p66)。ふだん本当だと思っていることのかなりの部分が、社会に思い込まされたものだと気づくところが出発点です。
知ろうとする人は、表面を突き抜けて根や原因に近づこうとします。真理を所有するのではなく、批判的に一歩ずつ近づき続けるのです(p66〜67)。
ある様式の立場では、知らないことも知る過程の一部になります。知らないことは、知っていることと同じくらい意味を持つわけです。ただし、何も考えない無知とは別物だと著者は区別しています。
持つ側:持つ様式の目標は、より多く持つことです(p67)。教育は、将来の地位に見合う量の知識を一人ひとりに持たせます。仕事に要る最低限の知識に、自尊心をくすぐる上乗せの教養が加わるのです。
大学は、東洋思想から現代芸術までを少しずつつまませると著者は書きます。一つのテーマへの集中も、一冊を読み通すことも求めない、と批判しています(p67)。
節の中では、古い宗教の伝統に連なる人物から近代の思想家までが論じられます。本記事では、人物ごとの議論には立ち入りません。
暮らしの例(筆者の置き換え)
ニュースアプリや解説動画で、知っていることは増えていきます。ところが、自分の仕事や家族の問題についての判断は変わらないことがあります。健康情報を集めるほど、かえって迷いが増える場面も珍しくありません。「わからない」と言えることを、学び直しの出発点に置く見方ができます。
信念:他人の答えを受け入れるより、自分の経験にもとづく信頼を持つ
信念の場面では、他人が作った答えを受け入れて所有するのが持つ様式、自分の経験にもとづいて信頼するのがある様式です。
著者は、宗教でも政治でも個人の生活でも、信念には持つ型とある型の二つがあると書きます(p68)。
持つ側:持つ型の信念は、理屈で確かめていない答えを所有することです(p68〜69)。答えを作るのは、たいてい組織の上に立つ人たちです。受け入れる側は、作り手の力を頼みにして決まり文句を受け入れます。
著者が挙げる持つ型の信念の働きは、次の3つです。
- 集団の一員になるための条件になる
- 自分で考えて決める、骨の折れる仕事を免除してくれる
- 確かさと引き換えに、自分の独立を手放させる
自分で作ったものに自分の力を預けて従うと、持っているつもりのものに逆に縛られます。著者は、自分の力を預けた相手に逆に縛られる状態として論じています(p69)。人生の答えを自分で探そうとしない人の支えになる、とも書かれています。
ある側:ある型の信念は、特定の考えを信じる前の、心の向きや態度です。信念を持つより「信念の中にある」と言うほうがよい、と著者は述べます(p69)。
信頼がなければ人は希望を失い、根っこから怖くなる、と著者は書きます(p69〜70)。
ある型の信頼にも、確かさはあります。ただし確かさの出どころは、権威に従うことではなく自分の経験です。
人の誠実さは、最後の日まで証明できません。けれど、自分を脇に置いて相手をありのままに深く知ることはできます。深く知れば、相手がしそうなこととしないことの大筋がわかります。著者は、経験にもとづく信頼を筋の通ったものとして扱っています(p70)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
「会社にいれば安泰」「有名人が言うなら間違いない」と、考える手間ごと預けてしまう信じ方があります。反対に、長年連れ添った配偶者を、証明はできなくても信頼できる場面もあります。年月をかけて相手を見てきた経験が、信頼の土台です。40代以降は、経験にもとづく信頼が育つ年代だと見ることもできます。
愛すること:愛は持てるものではなく、愛するという行為だけがある
愛の場面では、相手を自分のものにして縛る愛が持つ様式、愛するという行為を続けるのがある様式です(p71〜72)。
愛を持てるのなら、愛は所有できるものでなければなりません。ところが、所有できる「愛」は存在しない、と著者は節の冒頭で指摘します(p71)。
持つ側:持つ型の愛は、相手を自分のものにし、縛ろうとします。縛られた相手は、生き生きと生きる力を弱められます(p72)。
ある側:著者によれば、存在するのは「愛する」という行為だけです(p71〜72)。愛することは、自分の力を生み出すように働かせる行為として描かれています(p72)。
結婚についての記述もあります。著者によれば、相手を「持った」と感じると、愛される努力をやめてしまいます。愛し合う代わりに、お金や地位、家や子どもを一緒に持つことで満足しようとするのです(p73〜74)。
著者は、結婚という形自体を否定していません。問題にしているのは、所有する生き方のほうです(p74〜75)。
暮らしの例(筆者の置き換え)
「妻(夫)がいる」「家族がいる」と、名詞として持つ語り方があります。今日相手に何をしたかで語るのは、動詞としての愛の語り方です。子の独立や夫婦の危機では、持っていた家族を失う怖さとして表に出ることがあります。
「持つ」生き方が不安を生む理由(第二篇)
第二篇は、二つの様式の違いを掘り下げる部分です。本記事では、失う不安と死の恐れにふれる節を中心に取り上げます。
第二篇を構成するのは、次の3つの章です。
- 第四章 持つ様式とは何か(p103〜)
- 第五章 ある様式とは何か(p125〜)
- 第六章 持つこととあることの新たな側面(p151〜)
本記事では、日常の感覚に近い3つの節を取り上げます。
忙しさは能動性ではない
外から見て動き回っていることと、内側で自分の力を使っていることは別物だ、と著者は第五章で述べます(p126〜)。
著者が言う内側の力とは、次のような力です。
- 考える力
- 感じる力
- 愛する力
著者の区別に立つと、予定で埋まった忙しい人が、実は受け身であることも起こりえます。筆者の置き換えですが、週末の予定を詰めても満たされない感覚は、外の忙しさと内側の能動性の違いとして読めます。
持つほど、失う不安が増える
持っているものは失いうるので、持つほど人は守りに入る、と著者は第六章で論じます(p151〜)。
著者は、持ちものを置いて一歩踏み出す人を、人が昔から英雄として語ってきた点に触れます。著者の説明では、英雄への憧れは、不確かさに耐える姿に惹かれる気持ちから来るものです。
筆者の整理では、持つものを増やすほど守る範囲も広がります。安心のために持つことが、失う不安の種にもなるわけです。
死の恐れの正体は「失うことへの恐れ」
著者によれば、死ぬこと自体への恐れより、持っているものを失うことへの恐れのほうが大きいのです(第六章 p173〜)。失うことが恐れられているのは、次のようなものです。
- 自分の体
- 自分という像
- 財産
- 肩書き
持つ部分が減るほど、死の恐れは弱まる、と著者は考えます。
ここからは筆者の整理です。親の老いや自分の体の変化は、死を意識するきっかけになりえます。死の恐れを失うことへの恐れとして読み直すと、何を持ちすぎているかを点検する問いに変わります。恐れが小さくなると約束する読み方ではありません。
40代以降に読むと響く3つのポイント
ここで挙げる3つは本の記述ではなく、第二章と第二篇を40代以降の暮らしに当てはめた筆者の整理です。
体験や効果を伝えるものではありません。読み方の提案として書きます。
肩書きや収入で自分を説明するのをやめる準備をする
「権威を行使すること」の節は、称号さえあれば中身がなくても続く権威を描いています(p63〜64)。
40代は、役職や年収のような持ちもので自分を説明しやすい年代です。持ちもので説明してきた人ほど、外れたときの揺れも大きくなりえます。
筆者の提案は、自己紹介から肩書きを外したときに何が残るかを、一度書き出しておくことです。残ったものが少なくても、失敗の判定ではありません。ある側の自分を育てる出発点として扱えます。
定年や子の独立の前に「ある」自分を育てておく
筆者の提案は、定年や子の独立で役割が外れる前に、ある側の自分を育てておくことです。
外れてからある側の自分を探すより、前もって育てておくのが筆者の提案です。手がかりは、第二章の場面にあります。
- 学習すること:学んだ量より、考え方が一つ動いたかを見る
- 会話すること:勝ち負けより、相手の話で自分が変わったかを見る
- 権威を行使すること:肩書きより、人として信頼されているかを見る
何をしているときの自分が生きていると感じるか。今のうちに書き留めておくのも一つの方法です。
片づけや終活を、喪失ではなく練習として捉え直す
本の問いは、ものの量ではなく、ものや人との関わり方に向いています。持つ様式が向かう先には、知識や肩書きまで含まれるからです。
片づけや終活は、手放すものを選ぶ作業です。手放す作業を喪失としてだけ数えず、しがみつき方を点検する練習と見る。筆者の提案は、見方の置き換えです。
手放したからといって、不安が減ると約束するものではありません。減らすこと自体が目標になると、減らした量を誇る形で、また持つことになりかねません。第八章の21項目のうち、到達を目指さない姿勢を述べた項目とつなげた筆者の整理です。
第三篇「新しい人間と新しい社会」は要点だけ押さえればよい
暮らしの読み方を探す読者なら、第三篇は第八章の「新しい人間」の項目を押さえれば足ります(筆者の整理です)。
第三篇は、次の3つの章でできています。
- 第七章 宗教、性格、社会(p181〜)
- 第八章 人間変革の条件と新しい人間の特色(p225〜)
- 第九章 新しい社会の特色(p231〜)
「新しい人間」の特徴は、到達を目指すより育ち続けること
新しい人間の21項目は、持つことを手放す項目で始まり、到達を目指さず育ち続ける項目で終わります(p228〜230)。
第八章の冒頭で著者が挙げるのは、人の性格が変わる4つの条件です(p225)。
- 自分がいま苦しんでいると気づいている
- 苦しみの原因が分かっている
- 苦しみを乗り越える道があると知っている
- 乗り越えるには、暮らし方を変える必要があると受け入れている
著者は4つの条件を、古い教えやマルクス、フロイトの考えに共通する骨組みとして並べます(p225〜227)。著者がとくに強調するのは、精神分析の治療への注文です。気づきに暮らし方の変化が伴わなければ、性格の変化は長続きしないと著者は見ています(p227)。1970年代の著者の見方で、今の心理療法の定説として示すものではありません。
条件の一覧は、読めば人生が変わる手順として書かれたものではありません。
著者は、新しい社会の役目を、新しい人間が現れるのを後押しすることだと位置づけます(p228)。新しい人間の性格は、21項目の箇条書きで示されています(p228〜230)。項目の直前には、行動に結びつかない理解には意味がない、との念押しがあります。
21項目を7つに束ねると、次のようになります(筆者の整理です)。
- 手放す:持つことの形を一つずつ手放そうとする。安心の土台を、所有や支配ではなく自分のあり方と人とのつながりに置く
- 今ここと分かち合い:今いる場所に十分に居る。ため込むより、与えて分かち合うことに喜びを見出す
- 思い込みを減らす:欲や幻想をできるだけ減らし、何かを崇めずに生きる
- 愛と冷静さの両立:愛する力と、感傷に流されない批判的な思考を一緒に育てる
- 生きた枠組み:成長には枠組みが要るが、生きた枠組みと死んだ秩序は違う。人をだまさず、人にだまされない
- 自分と自然:知らない自分も知ろうとする。自然を征服せず、理解して協力する
- 到達を目指さない:どこまで行けるかにこだわらず、育ち続けること自体を幸福とする
著者は、到達しようとする野心自体が持つことの一種になると見ています(p230)。目標の達成を勧める考え方とは逆向きだ、というのが筆者の整理です。
項目の直後で著者は、持つ生き方を具体的にどう打ち破るかは本書の範囲を超える、と断っています(p230)。幸福への道を説く本が急に増えたが、不安から逃れたい人に付け込む有害な本も少なくない、とも注意しています。
消費社会への批判は、時代背景と一緒に読む
消費社会への批判は、原書が出た1976年の社会を前提に書かれているので、時代背景と一緒に読むのが筆者の提案です。
本の中で社会の側を論じているのは、主に次の部分です。
- 序章 大いなる約束、その挫折、新たなる選択(p15〜)
- 第四章の節「取得的社会——持つ様式の基礎」(p103〜)
- 第九章 新しい社会の特色(p231〜)
社会の仕組みについての提案は、半世紀前の状況をふまえて書かれています。細部を今の社会へ直接当てはめる必要はありません。訳者あとがきは、社会についての提案の核を「参加民主主義」とまとめています。一人ひとりが能動的に参加する社会の仕組みを指す言葉です。
暮らしの読み方を探すなら、後回しにしても差し支えありません。
🎧 Audible(オーディブル)
フロムのように一文が重い古典は、黙読だと目が滑ってしまうことがあります。声で一度通して全体の流れをつかんでから紙に戻ると、「持つ」と「ある」の対比が立体的に見えてきます。
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『愛するということ』『自由からの逃走』との関係と読む順番
3冊を原書の刊行順に並べると、問いの範囲が広がっていくように読めます。
刊行順の並びは、因果関係や著者の意図を示すものではありません。3冊の関係は筆者の整理です。
3冊は刊行順に問いが広がっている
3冊の主題を1行ずつ並べると、次の表になります。
| 書名 | 原書の刊行 | 主題(筆者の要約) | 日本語版の訳者 |
|---|---|---|---|
| 自由からの逃走 | 1941年 | 自由を手にした近代の人が、自由の重さから逃げようとする心の動き | 日高六郎(東京創元社、1951年) |
| 愛するということ | 1956年 | 愛は落ちるものではなく、学んで身につける技術である | 鈴木晶(紀伊國屋書店、新訳版1991年)。旧訳は懸田克躬(1959年) |
| 生きるということ | 1976年 | 愛を含めた暮らし全体の、持つ様式とある様式 | 佐野哲郎 |
『生きるということ』にも「愛すること」の節があり、所有できる愛は存在しないと書かれています(p71)。フロム自身も、恋に「落ちる」という言い方は矛盾だと書いています(p73)。同じ指摘は『愛するということ』でもしたと、本人が触れています(p73)。訳者の佐野哲郎は、本書の考えを『自由からの逃走』以来フロムが一貫して説いてきたものと見ています(訳者あとがき)。愛に向けられた問いが、学習や読書を含む暮らしの場面にまで広がった、と見るのが筆者の整理です。
難しいと感じたら第二章の8つの節から読めば足りる
本が難しいと感じたら、第二章(p51〜75)の8つの節から読むのが筆者の提案です。
第二章は1節が2〜5ページで、日常の場面が例になっています。順番の目安を、筆者の提案として3段階で示します。
- 第二章の8つの節から、気になる場面の節を1つ読む
- 第一章 瞥見(p33〜)で、二つの様式の全体像をつかむ
- 第六章の「安心感——不安感」(p151〜)と「死ぬことの恐れ——生きることの肯定」(p173〜)に進む
序章と第三篇は、社会についての議論が中心です。第一篇の第三章(p76〜)は、旧約・新約聖書とエックハルトの著作を読み解く章です。暮らしの読み方を先に探すなら、どちらも後回しにできます。
訳者と版|1977年の佐野哲郎訳と2020年の新装版
本記事が扱ったのは、佐野哲郎訳・紀伊國屋書店の版です。
訳は佐野哲郎、出版社は紀伊國屋書店
日本語訳の第1刷は、1977年7月25日に発行されています。本記事のページ番号は、1984年9月15日発行の第16刷で確かめたものです。
奥付の略歴によると、訳者の佐野哲郎は当時、京都大学教養部の教授でした。同じ出版社から出たフロム『希望の革命』『破壊』の共訳者でもあります。
訳者あとがきによると、翻訳中に著者から数か所の訂正の申し入れがありました。日本語版には、原書と違う部分があります(p267)。
書名は原題の直訳を避け、編集部と相談して決めたものです(p269)。「所有」「存在」ではなく〈持つこと〉〈あること〉と訳した理由も、あとがきに書かれています。
出版社の年表によると、2020年に新装版が出ています。新装版で訳文やページ割りが変わったかどうかは、本記事では確かめていません。
別の本『よりよく生きるということ』と取り違えない
書名がよく似た『よりよく生きるということ』は、第三文明社から2000年に出た別の本です。著者は同じフロムで、小此木啓吾監訳・堀江宗正訳です。出版社は、フロムが残した遺稿として紹介しています。
検索結果や紹介動画では、2冊が混ざって出てくることがあります。見分けるときは、出版社と訳者の名前を確かめるのが確実です。
よくある質問
「持つ様式」は、ものを捨てよという意味ですか
ものを捨てよという意味ではありません。著者の言う持つ様式は、知識や意見、肩書きとの関わり方にまで及びます。問われているのは量ではなく関わり方です。著者は、どちらか一方だけで生きている人はいないとして、配分の問題として論じています。
難しいと感じたら、どこから読めばよいですか
第二章「日常経験における持つこととあること」から読むのが筆者の提案です。第二章はp51〜75の約25ページで、学習や会話など8つの場面ごとに違いが書き分けられた章です。気になる場面の節を1つ選んで読む方法を、筆者は提案します。
『愛するということ』と、どちらを先に読むべきですか
読む目的で決めるのが筆者の提案です。恋人や家族への愛し方を考えたいなら、『愛するということ』から入れます。学びや会話を含む暮らし全体の関わり方を見直したいなら、『生きるということ』から読めます。原書の刊行は『愛するということ』が1956年、『生きるということ』が1976年です。
レポートや読書感想文は、どうまとめればよいですか
第二章の節を1つ軸にすると、まとまりやすくなります。たとえば「会話すること」の節を選び、持つ様式とある様式の違いを自分の言葉で要約します。次に、自分の生活の場面に置き換えて考えを書く流れです。400字なら要約と考えを1つずつ、800字なら置き換えの場面を1つ加える組み立てが、筆者の提案です。本文を長く書き写すのは避け、引用するときはページ番号を添えてください。
まとめ|要約で終わらせず、一つの場面だけ「ある」側に寄せてみる
要約を読んで内容を覚えるだけなら、著者の言う持つ読書の側にとどまります。
著者は、行動に結びつかない理解には意味がないと念を押しています(p228)。筆者の提案は、第二章の8つの場面から1つだけ選び、次に同じ場面が来たときにある側へ寄せてみることです。
本に問いかけながら読むための問いを、筆者の整理として3つ置きます。
- 自分の暮らしで、持つ様式に寄っている場面はどれか
- 著者の議論で、納得できない点や避けて通られている問題はどこか
- 1976年の社会を前提にした議論のうち、今も当てはまる点と当てはまらない点はどこか
参考・出典
- エーリッヒ・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』紀伊國屋書店、1977年(原題 To Have or to Be?、原書1976年)
- エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(原書1941年)
- エーリッヒ・フロム『愛するということ』(原書1956年)
『生きるということ』の書誌と本文中のページ番号は、2026年9月13〜14日に蔵書(1984年第16刷)で確認しました。新装版と他の2冊の書誌は、2026年9月14日に出版社のサイトと英語版Wikipediaで確認しました。版によってページ番号が異なる場合があります。本記事の暮らしの例は筆者の置き換えで、本に書かれている例ではありません。
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