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早わかり——相手への執着を手放すとは

相手への執着を手放すとは、その人を嫌いになることでも、関係をあきらめることでもありません。「相手を持とうとするのをやめる」ことです。心理学者エーリッヒ・フロムは『生きるということ』で、人間の生き方には「持つ様式」と「ある様式」の二つがあると述べ、愛は持つことのできる物ではなく、一つの過程だと書いています。苦しいのは、過程でしかないものを所有しようとしているから。この記事では、執着が起きる脳のしくみ(中野信子『脳内麻薬』)と、フロムの視点、そして今日からできる5つの練習を扱います。

その人のことばかり考えてしまう夜に

返信が来ない画面を、もう何度も開いてしまった。

既読はついている。それだけで、頭の中が相手のことでいっぱいになる。仕事の手が止まり、食器を洗いながら会話を反芻し、寝る前にまた画面を見る。相手はきっと、そんなことは何も知らずに眠っている。

あるいは、もう会えなくなった人かもしれません。別れた恋人。疎遠になった友人。距離を置くと決めたはずの親。自分でも「もう終わったこと」と分かっているのに、何かの拍子にその人の顔が浮かんで、胸のあたりが重くなる。

40代になって、この重さが以前と違うことに気づく人は多いと思います。若い頃の執着は、時間が過ぎればいつのまにか薄れていきました。今は違う。時間が経っても消えず、日常の底のほうに沈んだまま、ふとした瞬間に浮かび上がってくる。

この記事では、その「しがみつき」を意志の力でねじ伏せる方法は書きません。それは効かないからです。代わりに、執着が起きるしくみを二つの角度から見ていきます。ひとつは脳の側から、もうひとつは「愛とは何か」という側から。しくみが分かると、手放し方はずいぶん具体的になります。

執着は、意志が弱いから起きるのではない

まず、いちばん誤解されているところから。

相手への執着が消えないのは、あなたの気持ちが弱いからでも、往生際が悪いからでもありません。脳の報酬系という仕組みが、そういうふうにできているからです。

脳科学者の中野信子さんは『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』(幻冬舎新書)で、快楽をもたらす物質ドーパミンの働きを解説しています。同書によれば、何かを成し遂げて評価されたときや、家族や恋人から感謝の言葉を聞いて幸福感に包まれるとき、脳内ではドーパミンが大量に分泌されています。

この本には、報酬系の発見にまつわる有名な実験が紹介されています。レバーを押すと脳の一部が刺激されるようにしたネズミが、1時間に7000回もレバーを押し続けたという話です。餌より、水より、レバーを選ぶ。快感の回路に火がつくと、生きるための本能さえ後回しになる。

ここが大事なところです。あなたが相手のことを考えてしまうのは、その人が「快感の回路につながっている」からです。連絡が来るかもしれない、というだけで報酬系は動きます。そして厄介なことに、たまにしか来ない報酬ほど、脳は強く反応します。いつも返事が来る相手より、たまにしか返してくれない相手のほうが頭から離れないのは、これが理由です。

中野さんは同書で、社会的報酬とドーパミンの関係にも触れ、他者との比較から得られる幸福感や、年収と幸福感が単純には相関しないことを扱っています。人からの承認や比較が、食べ物と同じ回路で「報酬」として処理されている——この事実は、人間関係の執着を考えるうえで見過ごせません。

つまり、執着とは「気持ちの問題」である前に「回路の問題」なのです。だから根性では消えません。同時に、これは救いでもあります。回路の問題なら、対処は精神論ではなく、環境と習慣の設計になるからです。

フロムが言った「愛は持てない」

もうひとつの角度に移ります。こちらは五十年近く前に書かれた一冊です。

エーリッヒ・フロムの『生きるということ』(紀伊國屋書店、佐野哲郎訳)。原題は “To Have or To Be”、つまり「持つか、あるか」。フロムはこの本で、人間の生き方には二つの様式があると述べます。

持つ様式——世界に対する関係が「所有し、占有する」関係になっている状態。フロムはこの様式について、自分自身をも含むすべての人・すべての物を自分の財産にしたいと欲する関係だと書いています(同書46頁)。

ある様式——所有ではなく、経験することに重心がある状態。フロムは、過程や能動性は所有されうるものではなく、ただ経験されうるのみだと述べます(同書40頁)。

そして、愛について。フロムはこう書いています。

「愛は持つことができる物ではない」
——エーリッヒ・フロム『生きるということ』43頁より

愛は一つの過程であり、人がそれの主体となる内的な能動性である、と同書は続けます。だから「私はあなたに大きな愛を持っている」という言い方は、フロムに言わせれば意味をなさない。持てるものではないのだから。あるのは「愛する」という動きだけです。

ここに、相手への執着の正体があります。執着とは、過程でしかないものを、物として持とうとしている状態です。手のひらを閉じて、水を握ろうとしているようなものです。強く握るほど、こぼれる。

「残酷な女神」になるとき

フロムは同書で、愛を人間から切り離して独立した実体にしてしまうと、それは〈女神〉に、それも〈残酷な女神〉に変貌すると論じています(42頁)。そして、その女神は一人の人間のすべてを所有することを欲し、相手が魂も肉体も差し出さなければ満足しない。フロムはその崇拝を、苦しみだと書いています(41頁)。

読んだとき、思い当たる方がいるかもしれません。「大切に思っている」つもりが、いつのまにか「すべてを知っていたい」「いちばんでいたい」「私の思うとおりでいてほしい」に変わっていた——その転換点が、まさに愛が女神に変わる瞬間です。

そして残酷なのは、そこにいるのは相手ではなく、自分だということです。所有できないものを所有しようとする限り、苦しみは相手が何をしても終わりません。返信が来ても、次の返信が気になる。会えても、次に会えるかが気になる。ゴールがないのです。

テニソンの花と、芭蕉の花

フロムの本の中に、「持つ」と「ある」の違いを一目で分からせる、美しい対比があります。

ひとつは、イギリスの詩人テニソンの詩。壁の割れ目に咲く花を見つけた詩人は、それを根ごと摘み取り、手に持って、この花のすべてが分かればと願います。理解するために、彼は花を手に入れる必要があった。そしてフロムが指摘するとおり、手に入れた瞬間に、花は壊れています(同書36頁、38頁)。

もうひとつは、松尾芭蕉の句です。よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな。芭蕉は摘みません。ただ、よく見る。花はそのまま咲き続け、彼はそれを経験しています。

フロムはこの二つを、持つ様式と、ある様式の違いとして並べました。テニソンは花を所有し、芭蕉は花とともにある。

人間関係も、まったく同じ構造をしています。

相手を「分かりたい」と思うとき、私たちはしばしばテニソンになります。全部知りたい、把握したい、私のものにしたい。そして把握したときには、目の前にいるのはもう生きているその人ではなく、自分が作った像です。相手は、その像に合わせて振る舞うことを求められ、少しずつ息苦しくなっていきます。

芭蕉のように見るというのは、関心を持たないことではありません。むしろ逆で、摘まずに、よく見る。相手が自分の理解を超えた存在であることを許したまま、そこにいる。難しいことですが、方向としてはこちらです。

「手放す」と「あきらめる」は違う

ここで、いちばん誤解されやすい区別を整理しておきます。手放すことと、あきらめることは違います。

あきらめる 手放す
気持ち 「もういい」と切り捨てる 大切なまま、握り方を変える
相手の扱い 関心を閉じる 相手を、自分の像から自由にする
自分の状態 受け身の断念(力が抜ける) 能動的な選択(力が戻る)
その後 形を変えて、また同じ執着が来る 関係が続く場合も、終わる場合もある

見分け方は「その後、自分に力が戻ってくるかどうか」です。あきらめは、力が抜けます。手放しは、それまで相手のことに使っていた力が、自分の手元に戻ってきます。だから手放したあとの人は、意外と穏やかに、その相手のことを話せるようになります。

もうひとつの見分け方は、相手が自由になっているかどうか。あきらめは、相手を心の中で「切った」状態なので、実は相手はまだ自分の像の中にいます。手放すというのは、その像から相手を出してあげることです。

相手への執着を手放す、5つの練習

しくみが分かったところで、具体的な手当てに移ります。精神論ではなく、報酬系の性質に沿った手当てです。

1. 「確認」の回数を、時間で区切る

いちばん効くのは、確認行動そのものを減らすことです。ただし「見ない」と決めると失敗します。禁止は反動を生むからです。

代わりに、時間で区切ります。「見るのは朝と夜の2回だけ」「20時以降は見ない」。回数ではなく時刻で決めるのがコツです。たまにしか来ない報酬ほど脳が強く反応する、という性質を逆手に取って、確認できるタイミングを自分で予測可能にする。予測できる報酬は、脳を暴走させません。

2. 相手のことを考える時間を、あえて予定に入れる

逆説的ですが、これはよく効きます。「考えないようにする」のは非常に難しいのに、「17時から15分だけ考える」と決めるのはできてしまいます。

日中に相手のことが浮かんだら、「その時間に考える」とメモして先送りする。実際にその時間になると、案外考えることがなかったりします。執着は、締め出そうとすると強くなり、席を用意すると静かになる、という性質を持っています。

3. 「私が決められること」と「相手が決めること」を紙に分ける

紙を縦線で二つに割って、左に「私が決められること」、右に「相手が決めること」と書きます。そして、頭の中でぐるぐるしている事柄を、片方に振り分けていく。

連絡するかどうか、どう返すか、どこまで関わるか——これは左です。相手がどう思うか、返信するか、私をどう扱うか——これは全部、右です。

右側は、どれだけ考えても一ミリも動きません。フロムの言い方を借りれば、右側は最初から「持てないもの」です。この作業は、持てないものを握ろうとして消耗している時間を、目に見えるかたちで教えてくれます。

4. その人に向いていた時間を、別の何かで埋める

報酬系は空白を嫌います。何もしないでいると、いちばん慣れた回路——つまり相手のこと——に戻ります。

だから、引き算だけでは足りません。確認をやめて空いた時間に、別の小さな報酬を置きます。体を動かす、手を使う、誰かと話す。派手なことでなくていい。「その人のことを考えていない時間」が一日の中に実在する、という事実を積み上げていくのが目的です。

5. 相手を「像」から出す一文を書く

最後は、いちばん静かな練習です。ノートにこう書きます。

「あの人は、私の知らないところで、私の想像とは違う人生を生きている」

当たり前のことですが、執着しているときの頭の中では、この当たり前が消えています。相手は自分の物語の登場人物になっていて、自分の解釈の中でだけ動いている。この一文は、その像から相手を出す作業です。

フロムは、深く知るということについて、自我を捨てて相手をあるがままに見ることだと述べています(同書71頁)。相手を自由にする一文は、実は自分を自由にする一文でもあります。

40代の執着が、若い頃より重い理由

同じ「忘れられない」でも、20代のそれと40代のそれは質が違います。理由は三つあると考えています。

やり直しの回数が、見えてしまうから

20代の頃は、目の前の関係を失っても「また出会える」と根拠なく思えました。40代になると、これから先に結べる関係の数が、なんとなく見えてきます。見えてしまうと、いま手の中にあるものを離すのが怖くなる。執着の裏側にあるのは、多くの場合、喪失そのものより「もう補充できない」という感覚です。

関係の総数が、静かに減っているから

40代は、人間関係が自然に整理される時期です。子どもの成長で保護者どうしのつながりが薄れ、転職や異動で職場の顔ぶれが変わり、親の介護で自由に動ける時間が減る。総数が減ると、残った一人ひとりの比重が上がります。同じ人を思う時間が長くなるのは、心が弱ったからではなく、単純に分母が小さくなったからでもあります。

自分の役割が、入れ替わる時期だから

子どもに必要とされる度合いが減り、親には逆に必要とされ始める。職場では育てる側に回る。「誰かにとっての誰か」という自分の位置が、いくつも同時に組み替わります。位置が不安定なときほど、私たちは特定の相手との関係にしがみつきます。その人との関係だけが、自分が何者かを教えてくれるように感じるからです。

ここまで読んで気づかれたかもしれませんが、40代の執着は「相手の問題」ではなく「自分の位置の問題」であることが多いのです。だから相手が変わっても解決しません。位置が定まると、握る力は自然にゆるみます。

場面別|執着のかたちと、最初の一手

ひとくちに執着といっても、相手によって形が違います。よくある四つを挙げます。

元恋人・終わった関係

いちばん典型的なのがこれです。特徴は、記憶の中の相手がどんどん理想化されていくこと。実際には合わなかった部分が抜け落ち、良かった場面だけが残ります。

最初の一手は「良かったことと、しんどかったことを同じ数だけ書く」です。良かったことを否定する必要はありません。ただ、同じ数だけ並べる。理想化がゆるむと、相手は等身大に戻り、こちらの生活も戻ってきます。

疎遠になった友人

「どうして連絡が来なくなったのか」がわからないまま止まっている関係です。恋愛と違って区切りがないので、何年も宙ぶらりんになりがちです。

最初の一手は「理由を確定させようとするのをやめる」こと。相手の心の中は、こちらが決めることのできない領域です。多くの場合、理由は劇的な何かではなく、生活の変化という平凡なものです。ここは「わからないままにしておく」ことが、そのまま手当てになります。

子ども

40代に特有で、いちばん語られにくいのがこれです。連絡が減った、部屋に入れてくれない、進路の話をしてくれない。心配という名前をつけていますが、内側にあるのは執着に近い感情のこともあります。

最初の一手は「心配を、相手に渡さない」こと。心配は親の側の感情で、子どもが処理すべきものではありません。伝えるべきは心配ではなく、「困ったときに戻ってこられる場所がある」という事実だけです。渡さないと決めると、不思議と相手から話しかけてくる回数が増えます。

方向が逆のパターンです。認めてほしかった、謝ってほしかった、という思いが、何十年も残っている。相手が高齢になるほど「今しかない」という焦りが加わり、執着は強くなります。

最初の一手は「相手から得るはずだった言葉を、自分で書く」こと。ノートに、言ってほしかった言葉をそのまま書いてみる。相手が生きているうちに言ってくれる可能性は、残念ながら高くありません。でも、その言葉が自分に必要だったことは事実です。必要だったと認めるだけで、待つ姿勢から一歩降りられます。

仏教の「渇愛」と、フロムが並べたもの

「執着を手放す」という言葉には、もともと仏教の響きがあります。仏教では、苦しみの原因を渇愛(かつあい)——渇いて水を求めるように、対象を求め続ける心の動き——として説明します。

興味深いのは、フロムが『生きるということ』の中で、仏陀とイエスを並べていることです。同書33頁で、フロムは仏陀が「人間の発達の最高段階に到達するためには、所有を渇望してはならない」と教えたことに触れ、そのすぐ隣に、イエスの「自分の生命を救おうと思う者は、それを失うであろう」という言葉を置いています。

宗教も文化もまったく違う二つの教えが、同じことを言っている——フロムが示したかったのは、そこです。握ることで得ようとすると、失う。これは特定の信仰の教義というより、人間という存在の構造についての観察に近いのだと思います。

だから、この記事で扱っている「手放す」は、悟りのような遠い話ではありません。返信を待つ回数を減らす、心配を相手に渡さない、といった生活の高さの話です。ただ、その小さな実践の背中には、二千年以上前から人間が繰り返し確かめてきた同じ発見がある、ということです。

やらないほうがいい、三つの「手放し方」

最後に、逆効果になりやすい方法を挙げておきます。どれも一度は思いつくものです。

1. 連絡先や写真を、衝動的に全部消す

その瞬間はすっきりしますが、多くの場合、数日で強い反動が来ます。消したという行為自体が「まだ気にしている」という証拠になり、脳の回路はむしろ活性化します。消すなら、衝動が収まってから、静かに。判断は「今すぐ」ではなく「二週間後の自分」に任せてください。

2. 相手を悪者にして、納得する

「あの人はひどい人だった」と言い切れば、確かに一時的に楽になります。ただ、この方法は相手を悪役として自分の物語に固定するので、相手は像の中から出ていきません。手放しとは相手を自由にすることでした。悪役も、役です。

3. 忙しさで、上から蓋をする

予定を詰めて考える隙をなくす方法です。短期的には効きますが、忙しさが途切れた瞬間——連休や、体調を崩した日——にまとめて戻ってきます。埋めるのは有効ですが、それは「蓋」ではなく「別の報酬を置く」という意味での埋め方であるべきです(前章の練習4)。

手放した先に、何が残るのか

手放すと、関係が終わってしまうのではないか。そう心配になるかもしれません。

実際には、逆のことがよく起きます。握りしめているあいだ、相手はこちらの期待に応え続けなければならない存在でした。手放すと、相手はただの人に戻ります。そして、ただの人になった相手とのほうが、長く穏やかな関係を続けられることが多いのです。

もちろん、終わる関係もあります。でもそれは手放したから終わったのではなく、握りしめることでかろうじて形を保っていた関係だった、ということです。

残るものは、時間と力です。返信を待つあいだ、私たちは自分の人生を止めていました。手放すというのは、その止めていた時間を、自分の側に戻す作業です。

フロムの言うように、愛が「持てない物」であるなら、失うこともできません。持っていないものは、なくなりようがない。あるのは、愛するという動きだけ。今日その動きを誰に向けるかは、いつでも自分で選べます。

まだ手放せない時期にいる人へ

ここまで方法を並べてきましたが、最後にひとつだけ、方法とは逆のことを書きます。

いま握りしめている最中の人に「手放しましょう」と言うのは、骨折している人に「歩きましょう」と言うのに似ています。順番があります。まだ痛みの真ん中にいるなら、手放すより先にやることは、痛みがあることを認めることです。

執着している自分を責める人は、とても多いです。いい歳をして、みっともない、いつまで引きずっているのか——そうやって自分を叱ると、苦しみが二階建てになります。一階が「相手を思う苦しさ」、二階が「そんな自分を責める苦しさ」。手放しにくくしているのは、たいてい二階のほうです。

その人を思う時間が長いのは、その関係が自分にとって本当に大切だったからです。どうでもいい相手に執着する人はいません。執着の強さは、そのまま、その関係を大事にしていた証拠です。まずそれを認めてしまってください。二階を取り壊すと、一階だけなら意外と耐えられます。

そのうえで、時期が来たら、この記事の練習のどれか一つを試してみてください。五つ全部でなくていい。確認の時刻を決めるだけでも、紙を二つに割るだけでも構いません。回路は、小さな成功体験からゆっくり書き換わっていきます。

専門家に相談したほうがいい場合

次のような状態が続くときは、ひとりで抱えず、医療機関や心理の専門家に相談してください。手放し方の問題ではなく、休息と治療が必要な状態のことがあります。

  • 眠れない、食べられない状態が二週間以上続いている
  • 仕事や家事など、日常の役割が回らなくなっている
  • 相手を監視したり、繰り返し連絡してしまうなど、自分で止められない行動がある
  • 自分を傷つけたい気持ちが浮かぶ

相談することは、手放せなかったことの証明ではありません。回復に必要な手順の一つです。

まだ手放せない時期にいる人へ

ここまで方法を並べてきましたが、最後にひとつだけ、方法とは逆のことを書きます。

いま握りしめている最中の人に「手放しましょう」と言うのは、骨折している人に「歩きましょう」と言うのに似ています。順番があります。まだ痛みの真ん中にいるなら、手放すより先にやることは、痛みがあることを認めることです。

執着している自分を責める人は、とても多いです。いい歳をして、みっともない、いつまで引きずっているのか——そうやって自分を叱ると、苦しみが二階建てになります。一階が「相手を思う苦しさ」、二階が「そんな自分を責める苦しさ」。手放しにくくしているのは、たいてい二階のほうです。

その人を思う時間が長いのは、その関係が自分にとって本当に大切だったからです。どうでもいい相手に執着する人はいません。執着の強さは、そのまま、その関係を大事にしていた証拠です。まずそれを認めてしまってください。二階を取り壊すと、一階だけなら意外と耐えられます。

そのうえで、時期が来たら、この記事の練習のどれか一つを試してみてください。五つ全部でなくていい。確認の時刻を決めるだけでも、紙を二つに割るだけでも構いません。回路は、小さな成功体験からゆっくり書き換わっていきます。

専門家に相談したほうがいい場合

次のような状態が続くときは、ひとりで抱えず、医療機関や心理の専門家に相談してください。手放し方の問題ではなく、休息と治療が必要な状態のことがあります。

  • 眠れない、食べられない状態が二週間以上続いている
  • 仕事や家事など、日常の役割が回らなくなっている
  • 相手を監視したり、繰り返し連絡してしまうなど、自分で止められない行動がある
  • 自分を傷つけたい気持ちが浮かぶ

相談することは、手放せなかったことの証明ではありません。回復に必要な手順の一つです。

→ ひとつに決める前に比べたい方へ|オンラインカウンセリング比較7選

よくある質問

Q1. 相手への執着を手放すとは、どういう意味ですか

その人を嫌いになることでも、関係をあきらめることでもありません。「相手を持とうとするのをやめる」ことです。心理学者エーリッヒ・フロムは、愛は持つことのできる物ではなく一つの過程だと述べています。持てないものを持とうとするのをやめると、苦しみの構造そのものがほどけます。

Q2. 執着してしまうのは、私の意志が弱いからですか

意志の弱さではありません。中野信子『脳内麻薬』が解説するとおり、快感をもたらすドーパミンの回路(報酬系)は、たまにしか得られない報酬にいっそう強く反応します。連絡が来たり来なかったりする相手ほど頭から離れないのは、この仕組みのためです。だから根性ではなく、環境と習慣で対処します。

Q3. 「手放す」と「あきらめる」はどう違いますか

あきらめは受け身の断念で、力が抜けます。手放すのは能動的な選択で、相手に使っていた力が自分に戻ってきます。見分け方は「そのあと自分に力が戻ってくるか」。もうひとつは、相手が自分の思い描く像から自由になっているかどうかです。

Q4. 具体的には、何から始めればいいですか

確認行動を時刻で区切ることから始めてください(例:朝と夜の2回だけ)。禁止ではなく予測可能にするのがコツです。あわせて、「私が決められること」と「相手が決めること」を紙に二分すると、消耗している場所がはっきりします。

Q5. 手放したら、関係が終わってしまいませんか

握りしめている間、相手はこちらの期待に応え続ける存在でした。手放すと相手はただの人に戻り、その状態のほうが穏やかに続く関係も多くあります。終わる関係もありますが、それは握ることでかろうじて形を保っていた関係だった、ということです。

この記事で参照した本

エーリッヒ・フロム『生きるということ』(佐野哲郎訳・紀伊國屋書店)/中野信子『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』(幻冬舎新書)

同じ「その人のことばかり考えてしまう」でも、相手が嫌いな人のときは:嫌いな人が頭から離れない|「考えないようにする」ほど戻ってくる理由と、置き場所を決める手当て

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グレイス
考察好きなブロガー。日々の心の重荷を、心理・思想・歴史・暮らしの知恵から静かにほどく——そんな長文の読み物を「日常の温もり」で綴っています。