実家に帰りたくない40代へ|戻っているのは家ではなく、昔の「席」です
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早わかり
- 実家に帰りたくないのは、親が嫌いだからとは限りません
- 家族療法では、家族の境界を「内外の境界」と「世代間境界」の二つに分けて見ます(団士郎『対人援助職のための家族理解入門』p.29)
- 実家で疲れるのは、四十代のあなたが昔の席に座り直させられるからです
- 下重暁子さんは、盆と正月の帰省ラッシュを「家族はなぜ排他的になるのか」という問いの入口に置いています(『家族という病』p.114)
- 帰る/帰らないの前に、調整できる項目が七つあります
帰省の予定が決まると、その日から少し気が重い。
親のことは嫌いではありません。むしろ心配しています。それなのに、帰ると決まった瞬間から疲れが始まる。
そして、その理由をうまく説明できない。「別に何かされるわけじゃないんだけど」としか言えない。
この記事は、その「何かされるわけじゃないんだけど」の中身を、できるだけ細かく分解していきます。名前がつくと、対処ができるようになるからです。
帰りたくないのに、理由が言えない
まず確認しておきたいのは、はっきりした事件がないほうが普通だということです。
虐待があった、絶縁している、という場合は理由が明確です。むしろ困るのは、そこまでではない場合です。
ごはんは出てくる。親は喜んでくれる。手伝えることもある。それなのに、帰りの新幹線でぐったりしている。
説明できないので、自分がわがままなのだと結論しがちです。けれど、疲れているという事実のほうが、説明できないという事実より確かです。
「帰りたくない」は、多くの場合「戻りたくない」
言葉を少し変えてみます。帰りたくないのではなく、戻りたくないのではないでしょうか。
場所ではなく、状態に戻ることが重い。
ここを分けておくと、あとの話がずいぶん整理されます。
戻っているのは、家ではなく「席」です
家族療法という分野があります。個人ではなく、家族という単位の構造を見る考え方です。
団士郎さんは『対人援助職のための家族理解入門——家族の構造理論を活かす』のなかで、家族の境界を二つに分けて説明しています。「内外の境界」と「世代間境界」です(p.29)。
この二つで、実家の居心地の悪さはかなり説明がつきます。
世代間境界——四十代でも、実家では子の席
世代間境界とは、親の世代と子の世代のあいだに引かれる線のことです。
自分の家では、あなたは親の側にいます。決める人であり、支える人であり、心配する側です。
ところが実家に入った瞬間、席が変わります。決めるのは親、決められるのはこちら。何時に食べるか、どこへ行くか、いつ帰るか。四十代なのに、承認を得る側に戻ります。
疲れるのは当然です。二十年かけて上がってきた席から、一段降りるからです。
しかも、これは誰も悪くありません。親は昔の席のまま座っているだけで、こちらを困らせようとはしていない。
内外の境界——誰が「内」で、誰が「外」か
もうひとつが、内外の境界です。誰までを家族の内側とみなすか、という線です。
実家に配偶者を連れて行ったとき、この線がくっきり出ます。話題が昔のことになり、方言が濃くなり、説明が省略される。悪意はなくても、配偶者は「外」に置かれます。
そして、これは自分にも起こります。結婚して家を出た時点で、こちらもうっすら「外」になっている。内であり外であるという中途半端な位置は、たぶん一番疲れる場所です。
実家で客のように扱われて寂しく、同時に家族として使われて重い。両方が同時に起きるのは、線の上に立っているからです。
もとの家には、名前がある
ちなみに家族療法では、育った家のことを原家族(出身家族、実家)と呼びます(同p.134)。
専門用語をわざわざ出したのは、名前があること自体が役に立つからです。
「実家がしんどい」は個人の性格の話に聞こえますが、「原家族との境界の問題」と言い直すと、構造の話になります。構造の話なら、調整の余地があります。
なぜ、盆と正月なのか
帰省が重くなるのは、たいてい決まった時期です。
下重暁子さんは『家族という病』のなかで、盆と正月に必ずニュースになる帰省ラッシュを取り上げ、家族はなぜ排他的になるのかという問いを立てています(p.114)。
この「排他的」という言葉が、先ほどの内外の境界とちょうど重なります。
行事は、境界を濃くする
ふだんの家族は、それほど強く「うち」を意識していません。
ところが行事になると、集まる人が決まり、席次が決まり、役割が決まります。誰が台所に立ち、誰が座って待つか。ふだんは曖昧だった線が、はっきり引き直される。
帰省が特別しんどいのは、一年でいちばん境界が濃くなる日に帰るからです。
全員が「昔の自分」で集まる
加えて、集まる面々もそれぞれ昔の席に戻ります。
しっかり者だった姉、要領のいい弟、心配される末っ子。四十代になって全員それぞれの生活があるのに、その場では二十年前の配役が復活する。
自分だけが戻されているのではありません。全員が戻っています。だからこそ、誰も「やめよう」と言い出せません。
「帰りたくない」の中身を、六つに分解する
ここから具体的に見ていきます。当てはまるものがいくつあるか、確かめてみてください。
①昔の役割に戻される
気を回す役、間に入る役、明るく振る舞う役。玄関を入った瞬間に、自動的にその役が起動します。
自分で選んでいないのに始まるので、断る手続きがありません。ここがつらいところです。
②配偶者や子どもへの視線が気になる
自分だけなら耐えられることでも、家族が値踏みされていると感じると別の疲れが出ます。
子どもの成績、配偶者の仕事、家の様子。悪気のない質問が、こちらの家庭の採点に聞こえる。
③きょうだいや親戚と比べられる
比較は、多くの場合それとなく行われます。誰の子が何をしている、誰は近くに住んでいる、誰はよく顔を出す。
比べられていると感じるとき、実は自分でも比べています。だから反論しづらい。
④単純に、体力が足りない
見落とされがちですが、これはかなり大きい要素です。
移動、荷物、寝床の変化、気温差、食事の時間のずれ。四十代の体は、これだけで消耗します。
心の問題だと思って悩んでいたことの何割かは、体力の問題です。
⑤介護の話が、近づいてくる
親の動きが去年より遅い。同じ話を繰り返す。冷蔵庫の中身が古い。
帰省は、その現実を確認する場になります。帰りたくないのは、見たくないからかもしれません。
これは冷たさではなく、準備ができていないというだけのことです。
⑥昔の話が、更新されない
三十年前の失敗を、今もエピソードとして話される。あのころ苦手だったものを、いまだに出される。
実家では、自分についての情報が古いまま止まっています。今の自分を知らない人たちに、昔の自分として扱われる。
ここに反論しても、たいてい伝わりません。相手にとっては悪気のない懐かしさだからです。
30秒セルフチェック
重いのは、どの部分ですか
A:席の問題/玄関を入ると口調が変わる・自分の判断で動けない・気づくと台所に立っている → 滞在時間と役割の調整が効きます
B:視線の問題/配偶者や子どもへの質問がつらい・比べられている感じがする → 話題の予防線と、滞在場所の分離が効きます
C:体力の問題/帰った翌日が動けない・眠れない・食事の時間が合わない → 宿と移動手段の変更がいちばん効きます
D:これからの問題/親の衰えを見るのがつらい・介護の話が出そうで怖い → 一人で抱えず、先に情報を持っておくことが効きます
実家が「休める場所」でなくなった理由
子どものころ、実家は休む場所でした。それがいつから、疲れる場所に変わったのでしょうか。
守られる側から、支える側へ
変わったのは家ではなく、こちらの位置です。
かつては守られる側でした。心配される側であり、用意される側だった。実家が休める場所だったのは、こちらが何も担っていなかったからです。
いまは違います。親の様子を見て、家の状態を確かめ、次の帰省までにやるべきことを頭の中で数えている。実家は、点検する場所になりました。
点検の場で休めないのは、当たり前のことです。
「懐かしい」が減っていく
それでも三十代のうちは、懐かしさが疲れを上回っていたかもしれません。
四十代になると、実家の変化のほうが目につきます。手すりがついた。物が増えた。においが変わった。使わない部屋が増えた。
変化は喪失の予告として届きます。懐かしさが減っているのではなく、懐かしさと不安が同時に来るようになっただけです。
自分の家が、休む場所になった
忘れがちですが、これは良い変化でもあります。
実家が休めなくなったのは、自分の家が休める場所になったからです。帰る場所が二つあって、そのうち一つが更新されただけとも言えます。
帰省が重いのは、後退ではなく、自分の家を作ったことの裏返しです。
「昔の席」から降りる、小さな練習
構造は簡単には変わりませんが、席の位置は少しずつ動かせます。実家で試せる小さな練習を挙げておきます。
親に、何かを教わる
煮物の味つけ、庭の手入れ、昔の写真の人物。
教わる側に回るのは一見すると子の席に戻る動きですが、実際は逆です。教えてもらう内容をこちらが選んでいるからです。主導権を持ったまま、相手を立てられます。
親の話を、記録する
生まれた場所のこと、若いころの仕事、祖父母のこと。聞いてメモを取る、あるいは録音させてもらう。
これをやると、その場の関係が親子から取材者と話者に変わります。役割が一段ずれるだけで、驚くほど楽になることがあります。
自分の生活の話を、一つだけする
近況報告ではなく、いまの自分が面白いと思っていることを一つだけ話します。
伝わらなくてもかまいません。目的は理解されることではなく、今の自分を持ち込むことです。昔の席に完全に沈まないための、小さな抵抗になります。
先に帰る時刻を言う練習をする
これがいちばん実用的です。言い出しにくいのは、断る言葉を長く使っていないからです。
最初は電話で伝えるだけでも構いません。使っていない筋肉を、少し動かしておく。
罪悪感の正体
帰りたくないという気持ちには、たいてい罪悪感がセットでついてきます。
親も年をとった。あと何回会えるか分からない。それなのに気が重いなんて、自分は薄情なのではないか。
この罪悪感を分解すると、少なくとも三つのものが混ざっています。
①期待に応えられないことへの罪悪感
親が喜ぶと分かっているのに、気が進まない。喜ばせたい気持ちは本物なので、応えられない自分が責められます。
ただ、喜ばせたい気持ちと、行きたい気持ちは別のものです。両方が同時に本物であることは、矛盾ではありません。
②時間が限られていることへの焦り
あと何回、という数え方を始めると、一回一回が重くなります。
この重さは愛情の裏返しですが、重すぎると足が向かなくなります。数えるのをやめると、行きやすくなることがあります。
③「いい娘」でいられないことへの落胆
いちばん静かに効いているのが、これかもしれません。
帰りたくないと思う自分は、自分が思っていた自分と違う。がっかりしているのは親ではなく、自分に対してです。
ここは、四十代らしい痛みだと思います。理想の自分を、少しずつ手放していく年代だからです。
帰る/帰らないの前に、調整できる七つ
多くの人が、帰るか帰らないかの二択で考えます。でも実際に効くのは、その手前の設定を変えることです。
①滞在時間を、先に決めて伝える
いちばん効きます。何時に着いて何時に出るかを、行く前に伝えておく。
その場で切り出すと角が立ちますが、事前なら予定の共有です。滞在が短いほど、昔の席に沈み込む深さも浅くなります。
②泊まらない、という選択肢を持つ
近くに宿を取る。日帰りにする。これだけで消耗は大きく変わります。
寝る場所が別にあると、いつでも降りられるという感覚が生まれます。実際に使わなくても、逃げ道があること自体が効きます。
親には「子どもが小さいので」「早朝に出るので」など、事実に沿った理由を添えれば十分です。
③自分の移動手段を持つ
車があると、買い物や送迎の名目でいったん外に出られます。
三十分だけ一人になる。これができるかどうかで、二日目以降の余力が変わります。
④話題の予防線を、先に張る
触れられたくない話題があるなら、行く前に配偶者と共有しておきます。誰かが話を変える係になるだけで、場は変わります。
自分で守ろうとすると角が立ちますが、他人が変えると自然になります。
⑤役割を、ひとつだけ引き受ける
何もしないと居心地が悪く、全部やると消耗します。
そこで、皿洗いだけ、買い出しだけ、と決めておく。担当があると、それ以外を断る理由になります。
⑥自分の物を、少し持っていく
いつもの枕カバー、いつものコーヒー、読みかけの本。
子どもっぽく思えるかもしれませんが、実家という場に自分の今を少しだけ持ち込むことになります。昔の席に完全に戻らないための、小さな錨です。
⑦帰ったあとの一日を、空けておく
帰省の翌日に予定を入れないでください。
疲れるものだと分かっているなら、回復の時間を最初から見込んでおく。これは甘えではなく、計画です。
立場によって、しんどさの種類が変わる
同じ「実家に帰りたくない」でも、置かれた立場で中身が違います。自分がどれに近いか見てみてください。
結婚して家を出た人
いちばん多いのが、内と外のあいだで宙づりになる形です。
客として気を使われながら、家族として台所に立たされる。どちらの扱いも中途半端で、どちらにも休めません。
この場合に効くのは、自分の立ち位置を先に決めておくことです。今回は客として行く、今回は手伝いに行く。自分の中で決めておくと、その場で揺れずに済みます。
独身の人
質問が自分に集中します。仕事、健康、そしてしばしば結婚。
悪気のない質問ほど断りにくく、毎年同じ問答を繰り返すことになります。
効くのは、答えを一つ用意しておくことです。毎回同じ言葉で返すと決めておくと、その場で考える負担がなくなります。内容は当たり障りのないもので構いません。
きょうだいの中で、近くに住んでいる人
この立場が、いちばん静かに消耗します。
ふだんの用事が自分に集まり、帰省時だけ来るきょうだいが感謝される。不公平だと感じる自分にも、また罪悪感がわく。
効くのは、やっていることを記録して共有することです。感情で訴えると角が立ちますが、事実の一覧は角が立ちません。
ひとりっ子の人
逃げ場がなく、分担する相手もいません。
この場合、家族の外に相談相手を持っておくことが、ほぼ必須になります。抱えている量が多いのではなく、分ける先がないことが問題だからです。
親と折り合いが悪かった人
過去に傷がある場合、帰省は思い出す作業になります。
無理に和解を目指さなくてかまいません。会うことと、赦すことは別の課題です。同時に進める必要はありません。
この主題は赦せない自分を抱えたまま生きるでも扱っています。
配偶者と、事前にすり合わせておくこと
意外と見落とされるのが、ここです。実家の問題は、夫婦間の問題になりやすいからです。
滞在時間は、二人で決めてから伝える
どちらか一方が決めると、あとで恨みが残ります。先に二人で決めて、決まったことを親に伝える。順番を逆にしないだけで、揉めごとが減ります。
助けてほしい場面を、具体的に伝えておく
「察してほしい」は、たいてい機能しません。
この話題が出たら別の話に変えてほしい、二時間たったら外に出ようと言ってほしい。具体的な合図を一つ決めておくと、実際に助けが届きます。
相手の実家の話も、同じ枠で扱う
自分の実家だけが議題になると、片方だけが我慢する構図になります。
どちらの実家についても同じ手順で決める、と最初に合意しておくほうが、長い目で見て平和です。
帰らない、という選択について
調整しても無理なとき、帰らないという選択があります。
これを冷たいことだと決める前に、いくつか整理しておきます。
一回休むことと、絶縁は違う
帰らないと決めると、関係を切ることのように感じてしまいます。けれど実際には、今年は行かない、というだけの話です。
電話をする、荷物を送る、写真を送る。接点の持ち方は帰省だけではありません。
帰省は手段であって、目的ではない。目的が親とのつながりなら、手段は取り替えられます。
理由は、正直に言わなくていい
「行きたくないから」と正直に言う必要はありません。それは相手を傷つけるだけで、状況は良くなりません。
仕事、体調、子どもの予定。事実に沿った理由で十分です。嘘をつく必要はなく、全部を言う義務もない、という程度に考えてください。
行かなかった年のことは、意外と誰も覚えていない
これは実際に休んでみると分かります。
行かなかった一年について、あとから責められることは、思っているより少ないものです。恐れているのは実際の反応ではなく、想像上の反応であることがほとんどです。
帰ったあとに、いつもより長く落ち込むとき
帰省のあと、二、三日は疲れが残ります。それは通常の範囲です。
ただ、次のような状態が続く場合は、自分で扱う範囲を超えている可能性があります。
- 帰省から一週間以上たっても、気分が戻らない
- 実家のことを考えると、涙が出る、動悸がする
- 親からの連絡を見るのが怖い
- 眠れない、食べられない状態が二週間以上続いている
最後の項目に当てはまる場合は、まず心療内科や精神科の受診を検討してください。
それ以外の場合で、家族の話を身近な人にしにくいと感じているなら、話す場を外に持つことが向いています。カウンセリングを受けるべきか迷っている40代へもあわせてどうぞ。
親の側にも、事情があります
ここまで、こちらの負担の話をしてきました。公平のために、向こう側の事情も書いておきます。理解できると、腹が立つ量が減るからです。
親は、席を降りる練習をしていない
こちらが二十年かけて親の側の席に移ったのに対し、親のほうは、親という席から降りる練習をしてきていません。
降りると何になるのか、モデルがないのです。だから昔のやり方を続ける。指示を出し、心配し、口を出す。
それは支配というより、ほかの関わり方を知らないということかもしれません。
会える回数が減ると、密度を上げようとする
年に数回しか会えないと、その一回に詰め込もうとします。
あれも聞きたい、これも食べさせたい、写真を撮りたい。こちらが「休みたい」と思っている時間に、向こうは「取り戻したい」と思っている。
ここがずれるので、両者とも善意なのに疲れます。
心配は、たいてい自分の不安から出ている
健康は大丈夫か、仕事は続くのか、老後はどうするのか。
質問の形をしていますが、多くは親自身の不安です。答えを求めているのではなく、不安を口に出しているだけのことがあります。
そう思って聞くと、まともに答えなくてよい質問がかなりあると分かります。「大丈夫だよ」で十分な場合が多いのです。
今年から変えるなら、ひとつだけ
七つの調整を全部やる必要はありません。ひとつ選ぶとしたら、これです。
帰る前に、帰る時刻を決めて伝える。
これだけで、滞在の性質が変わります。終わりが決まっているものは、耐えられる量が変わるからです。
そして、帰った翌日を空けておく。
この二つは、誰も傷つけずに実行できて、効果がはっきり出ます。今年の帰省で試してみて、来年の判断材料にしてください。
関連して、実家の片づけは親の否定じゃない、人の目が気になる40代へもあわせてどうぞ。
おわりに
実家がしんどいのは、あなたが冷たいからではありません。二十年かけて作ってきた自分の席が、そこにはまだ用意されていないからです。
席がないから、昔の席に座るしかない。座れば疲れる。ただ、それだけのことです。
親を嫌いになる必要も、無理に好きになる必要もありません。今年の滞在を一泊短くする。それくらいの調整から始めれば十分だと思います。
よくある質問
実家に帰りたくないのは、親が嫌いだからでしょうか
必ずしもそうではありません。家族療法では家族の境界を「内外の境界」と「世代間境界」に分けて考えますが、実家に入ると世代間境界が昔の位置に戻り、四十代でも決められる側の席に座り直すことになります。人ではなく構造に疲れている場合が多いものです。
なぜ盆と正月の帰省がとくにしんどいのですか
行事は家族の境界を濃くするからです。集まる人、席次、役割が明確に決まり、ふだんは曖昧だった線が引き直されます。さらに、きょうだいを含む全員がそれぞれ昔の配役に戻るため、その場では二十年前の関係が復活します。
帰りたくないと思う自分に罪悪感があります
罪悪感には、期待に応えられないこと、時間が限られていることへの焦り、思っていた自分でいられない落胆の三つが混ざっていることがあります。親を喜ばせたい気持ちと、行きたい気持ちは別のものです。両方が同時に本物であることは矛盾ではありません。
帰省の負担を減らすには、何がいちばん効きますか
滞在時間を事前に決めて伝えることと、泊まらない選択肢を持つことです。近くに宿を取る、日帰りにするだけで消耗は大きく変わります。実際に使わなくても、いつでも降りられるという逃げ道があること自体が効きます。
帰らないと決めるのは、冷たいことでしょうか
今年は行かないということと、関係を切ることは別です。電話や荷物、写真など、接点の持ち方は帰省だけではありません。帰省は手段であって目的ではないため、目的が親とのつながりであれば手段は取り替えられます。理由も、事実に沿ったもので十分です。
参考文献:団士郎『対人援助職のための家族理解入門——家族の構造理論を活かす』/下重暁子『家族という病』
役割から降りられる場所がないと感じるなら:会社では部長、家では空気——「役」を降りられる場所が、一日に一度もない