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ジオノ『木を植えた人』実話ではない物語の読みどころ

早わかり

  • 『木を植えた人』は、ジャン・ジオノが1953年に書いた短い物語です(p.49)
  • 実話ではなく、作者は1957年の手紙で、作った人物だと書いています(研究誌Çédille)
  • 実話に見えるのは、実在の地名と細かな年号で語られるためです(筆者の整理)
  • 森の変化がゆっくりで、役人も自然にできた森だと思いこみました(p.27〜29)
  • 楓1万本の全滅や羊から蜂への切り替えなど、方向転換の記録としても読めます(p.22〜28)
  • 作者は子どものころ、父とどんぐりを植えながら荒れ地を歩きました(p.43〜44)
  • 40代の場面は筆者の置き換えで、本に書かれた例ではありません

『木を植えた人』は、水のない高地に木を植え続けた男の物語です(p.6〜42)。本記事では実話かどうかの根拠と、気づかれずに続いた理由、失敗と方向転換の3点を読み解きます。

頁番号は、蔵書のこぐま社版(原みち子訳、1989年第1刷)の印刷頁です。蔵書は1990年の第13刷で、ほかの訳とは頁も訳文も違います。

訳文の引用は4か所の短い言葉にとどめ、ほかは筆者の言葉で書き直しました。筆者の体験を書いた記事ではありません。40代の場面は、本の内容をもとにした筆者の置き換えです。

『木を植えた人』はどんな物語か|本の基本と、語り手が訪ねた年

『木を植えた人』は、語り手が若いころに荒れ地で出会った男を回想する物語です(p.6)。男の名はエルゼアール・ブフィエで、出会ったときは55歳でした(p.18)。原作は1953年に、アメリカの編集者に頼まれて書かれました(p.49)。初めて世に出たのは、1954年のニューヨーク版ヴォーグ誌です(p.49)。

項目内容
著者ジャン・ジオノ(1895〜1970)
訳者原みち子
出版社こぐま社
1989年10月15日第1刷
原題L’homme qui plantait des arbres
原作1953年に執筆
1954年にニューヨーク版ヴォーグ誌で発表(p.49)
本の作り本文はp.6〜42、訳者あとがきはp.43〜52
挿絵はなく、p.4に地図が1枚

本文の前のp.3には、短い一段落が置かれています(p.3)。人が並外れているかどうかは、長い年月にわたって行いを見続けて初めて分かる、という趣旨です(p.3)。行いが見返りを求めず、世の中に何かを残すなら、忘れがたい人物だと続きます(p.3)。

語り手が訪ねた年と、ブフィエの年齢

語り手が訪ねた回数は、本に書かれていません。書かれている訪問を年の順に並べると、次の表になります。

年訪ねたときの様子ブフィエ頁
1913年6月水を探す途中で出会い、家に泊めてもらう
翌日もとどまり、植える様子を見る
55歳p.8〜20
1920年ごろ5年の兵役を終え、戦後に高地を再び訪ねる記載なしp.21〜25
1920年以降毎年訪ねる記載なしp.28
1935年視察団の翌週、森林保護隊長の友人と訪ねる記載なしp.31〜33
1945年7月最後の訪問
バスで行き、村の名を見て初めて場所に気づく
87歳p.35〜36

最後の訪問から2年後の1947年に、ブフィエはバノンの養老院で穏やかに亡くなりました(p.42)。訳ではカタカナでホスピスと書かれ、今の緩和ケアの施設とは意味が違います(筆者の整理)。年齢は書かれていませんが、計算するとおよそ89歳です(筆者の整理)。

物語の流れ|荒れ地が森と村になるまで

物語の中心は、水も人も失った高地が、30年あまりで森と村に戻る変化です(p.7〜41)。筋を細かく追うより、水と木と人の変わり方を年ごとに見る方が流れをつかめます(筆者の提案)。

年水木人
1913年泉は涸れ、5時間歩いても水がない(p.8〜9)野生のラヴェンダーしか生えていない(p.7)ヴェルゴン村の住民はたった3人(p.36)
1920年ごろ干上がっていた小川に水が流れる(p.25〜26)樫は人の背を越え、森は最も広い所で11km(p.23)猟師は若木に気づいても、自然の気まぐれと考える(p.27)
1933〜35年記載なし役人が自然にできた森だと思いこむ(p.29〜30)森が国の管理下に入り、炭焼きの立ち入りが禁じられる(p.30)
1945年水量の多い泉に水が落ちる(p.37)森を渡る風の音が聞こえる(p.37)ヴェルゴン村に28人が住み、うち4軒は若い家庭(p.38)
1945年の8年後古い水源が流れ、どの農家にも水場がある(p.40)森が雨や雪を保つ(p.40)1万人を越す人々が今の幸せをブフィエに負う(p.41)

木が水を呼び、水が人を呼ぶ

1920年ごろの再訪で、語り手は1915年に植えたカバの森を見せられます(p.24〜25)。地表近くに水がある所を選んだブフィエの読みは、当たっていました(p.25)。語り手は、カバの森を前に「創造は連鎖反応を起こすもの」らしい、と書いています(p.25)。

山を下ると、干上がっていた小川に水が流れていました(p.25〜26)。風が種を運び、ヤナギや草原、庭や花畑が少しずつ広がります(p.26)。森が雨や雪を保つと古い水源がまた流れ、平野から人が移り住みました(p.40)。

壊す戦争と、育て続ける一人

出会いの翌年に第一次世界大戦が始まり、語り手は5年間を歩兵として過ごしました(p.21)。ブフィエは戦争を気にせず植え続け、1910年の樫は2人より背が高くなっていました(p.23)。森を見た語り手は、人間は壊すばかりではないと考えます(p.24)。壊す戦争と育てる一人を並べる作りが、物語の骨組みです(筆者の整理)。

実話ではない|根拠と、実話に見える理由

『木を植えた人』は実話ではありません。エルゼアール・ブフィエは、ジオノが作った人物です(p.49とÇédille第4号)。根拠は次の3つです。

  1. 訳者あとがき:実在しないと分かり、編集者が原稿を返した(p.49)
  2. ジオノの手紙:1957年に、ブフィエは作った人物だと書いた(研究誌Çédille第4号)
  3. 出版社の紹介文:フィクションだと明記している(こぐま社の商品ページ)

根拠1|実在の人物を頼まれ、原稿を返された

1953年、アメリカの編集者がジオノに「実在した忘れえぬ人物」を書いてほしいと頼みました(p.49)。ジオノが渡したのが、ブフィエの話です(p.49)。ところが人物が実在しないと分かり、編集者は原稿を返してきました(p.49)。

ジオノは版権を手放し、原稿をあちこちに寄贈しました(p.49)。依頼元の雑誌の名は、あとがきには書かれていません。研究誌の論文は、依頼元をリーダーズ・ダイジェスト誌としています(Çédille第4号)。

根拠2|ジオノ本人の1957年の手紙

ジオノは1957年、森林局の役人にあてて手紙を書いています(Çédille第4号)。研究誌に収められた手紙によると、ジオノは期待にそえず申し訳ないとわびて、ブフィエは作った人物だと述べました(同論文)。

書いた目的は、人に木を、正確には木を植えることを好きになってもらうためでした(同論文)。転載の権利はすべて無償にしたと、ジオノは書いています(同論文)。アメリカの人が10万部を刷って無料で配りたいと訪ねてきて、ジオノは承諾しました(同論文)。

ジオノは物語を、最も誇りに思う作品の一つと呼んでいます(同論文)。一銭にもならないからこそ役目を果たしている、とも書きました(同論文)。手紙の現物や、手紙を収めた本は確かめていません(筆者の整理)。

実話に見える理由|実在を信じた読者もいた

手紙によると、役人は雑誌『Trees and Life』で訳を読んでいました(Çédille第4号)。1982年には、カナダの雑誌『Harrowsmith』で全文が紹介されています(同論文)。実在の人物と受け取る読者が多く、バノンまで墓に花を供えに行った人もいました(同論文)。

本の中にも、実話に見える作りがそろっています。筆者が整理すると、次の4つです。

  • 語り手が、40年ほど前の思い出として一人称で語る(p.6)
  • シストロンやバノンなど、実在の地名が出てくる(p.6とp.42)
  • 1910年から1947年まで、できごとに年号が添えられている(p.23〜42)
  • 訳注が、県の名が1970年に変わったことまで説明している(p.7)

訳者は、ジオノが実在の人物を記録風の小説にするのを好まなかった、と書いています(p.49)。寓話のようでいて、実話のように生き生きした話を書く人だった、という見立てです(p.49〜50)。記録のような語り口も、物語を本物らしく見せる工夫と読めます(筆者の整理)。

誰にも気づかれなかったから続けられた

ブフィエの仕事が邪魔されずに続いたのは、誰にも気づかれなかったからでもあります(p.27)。変化はゆっくりすぎて、誰も驚きませんでした(p.27)。猟師たちは若木が増えたのに気づいても、自然の気まぐれだと思います(p.27)。

語り手は、疑われていたら口を出されたはずだと書いています(p.27)。村人も役人も、見返りを求めない行いを想像できなかったのです(p.27)。

1933年と1935年|役人は自然にできた森だと思いこんだ

1933年、森林保護官がブフィエのもとに来て、焚火を禁じる通達を渡しました(p.29)。守る対象は「自然林」で、訳では傍点が打たれています(p.29)。保護官は植えた本人に、森がひとりでに出てくるのは初めて見たと言いました(p.29)。

1935年には、行政が視察の大代表団を送ります(p.30)。高官や国会議員、専門家がさんざん話して、何かしようと決めました(p.30)。語り手によれば、幸い何もしなかったのです(p.30)。ただ一つのまともな決定は、森を国の管理下に置き、炭焼きの立ち入りを禁じたことでした(p.30)。

秘密を知った隊長は、守る側に回った

代表団にいた森林保護隊長の一人は、語り手の友人でした(p.31)。語り手は友人に、荒れ地が森になった秘密を教えます(p.31)。

隊長は控えめに木の種類を助言しましたが、あとでブフィエの方がよく知っていると認めます(p.33)。隊長は森に3人の森林保護官を置き、きこりから袖の下を受け取るなと戒めました(p.33)。秘密を知った1人の役人は、口を出す側ではなく守る側に回ったのです(筆者の整理)。

第二次世界大戦|伐採も、採算が合わずに止まった

第二次世界大戦中には、木炭ガスの燃料として1910年の森の伐採が始まりました(p.34)。道路から遠く、採算が合わないので、伐採はすぐに止まります(p.34)。ブフィエは30km離れた所で、何も知らずに植え続けていました(p.34)。

語り手も、最初は見くびっていた

気づかなかったのは役人だけではありません。若い語り手は、30年たてば1万本はみごとだろうと軽く口にします(p.19)。戦争の間は木のことを忘れ、一人暮らしの思いこみで「切手集めのたぐい」と見ていました(p.21)。

見くびられ、自然のせいにされ、役人には自然の森と呼ばれました。手柄と見られなかったことが、結果として仕事を守ったと読めます(筆者の整理)。

失敗と方向転換|全滅した楓と、羊から蜂へ

ブフィエは、同じことを黙って続けただけではありません。失敗や害を受けて、木の種類や暮らし方を何度も変えています(p.20〜30)。主な方向転換を表にまとめました。

起きたことブフィエの対応頁
芽が出ても、半分はネズミやリスにやられる選び抜いた実を、3年で10万個植えるp.13〜17
羊が若木を荒らす苗床を格子で囲い、のちに羊を4匹に減らして蜜蜂を飼うp.20〜23
窪地の地下に水分がある窪地にカバを植えるp.20とp.25
楓1万本が1本も育たない翌年は楓をあきらめ、ブナに戻すp.28
植える場所が家から12km先に広がる現場に石の小屋を建てるp.30

楓1万本が、1本も育たなかった年

ある年、ブフィエは楓を1万本植えましたが、1本も育ちませんでした(p.28)。翌年は楓をあきらめてブナに戻し、樫以上の成功をおさめます(p.28)。楓を植えた年は、本に書かれていません。

語り手は1920年以降に毎年訪ねましたが、くじけたり疑ったりする姿は見ていません(p.28)。失望が語られなくても、あったことは想像がつくと語り手は書いています(p.28)。全部をやめず、育つと分かっていた木に戻したことが転換の中身です(筆者の整理)。

若木を荒らす羊を手放し、蜂を飼う

1913年のブフィエは、30匹ほどの羊を連れた羊飼いでした(p.9)。戦後に再会すると、羊は4匹に減り、蜜蜂の巣箱を100ほど持っていました(p.22〜23)。羊を処分したのは、植えた木を台無しにするからです(p.23)。

実を選び、通い方も変える

植える前の晩、ブフィエはどんぐりを1つずつ見て、小さい実や傷のある実を取りのけます(p.13〜14)。完全な100個がそろうと手を止め、朝には手桶の水に浸しました(p.14〜15)。75歳のころは家から12km先へ通い、翌年には現場に石の小屋を建てています(p.30)。年をとっても、続けられる形に通い方を組み替えたのです(筆者の整理)。

作者の体験が下地にある|訳者あとがきから

ブフィエは作られた人物ですが、物語の下地には作者自身の体験があります(p.43〜44とp.50)。ジオノは1895年、プロヴァンスのマノスクで生まれました(p.43)。

父とどんぐりを植えながら歩いた休日

ジオノは幼いころから、休日に父とどんぐりを植えながら荒れ地を歩きました(p.43〜44)。のちに同じ場所へ戻ると、木々は力強く育ち、景色はすっかり変わっていました(p.50)。父は厳しくも優しい人で、ジオノは作品の中で山の村の知恵ある人として描いています(p.43)。

訳者は、ブフィエの姿を借りて父を描いたと言うだけでは足りない、と書いています(p.50)。ジオノが一生抱えたテーマを、最も凝縮した作品だという見方です(p.50)。空想の中に住んだのではなく、自分が見て意味を悟ったことを描いた作家だとも述べています(p.49〜50)。

戦争を知る作家が書いた、壊さない人の話

ジオノは第一次世界大戦に新兵として出て、衝撃を受けました(p.45)。のちに反戦の立場をとり、1939年に徴兵反対の運動で逮捕されます(p.46)。パリ解放のときにも、親独側と誤解されて再び捕まりました(p.46)。2度の大戦を気にせず植え続けるブフィエは、戦争を知る作家が描いた人物です(筆者の整理)。

40代で読む3つの問い|筆者の置き換え

以下の3つは、本の場面を40代の暮らしに置き換えた筆者の問いです。本に書かれた例ではありません。

問い1|誰にも気づかれない仕事を、続けられるか

ブフィエの森は、役人に自然にできた森だと思われました(p.29)。誰にも疑われなかったので、仕事は邪魔されずに続いています(p.27)。

40代の暮らしにも、名前の残らない役割があります(筆者の置き換え)。例は、後輩の書類の手直しや、家族の予定の段取りです(筆者の置き換え)。気づかれないことを損と見るか、続けやすさと見るかで、同じ役割の重さが変わります(筆者の置き換え)。

問い2|うまくいかなかった年のあと、何に戻すか

楓1万本が全滅した翌年、ブフィエはすでに育っていたブナに戻しました(p.24・p.28)。全部をやめたのでも、同じ失敗をくり返したのでもありません(筆者の整理)。

40代で始めた取り組みがうまくいかないとき、手応えのあった方へ戻す選び方もあります(筆者の置き換え)。羊を手放して蜂に替えたように、目的の邪魔になるものを手放す見直しも考えられます(筆者の置き換え)。

問い3|身近な人が続けていることを、見くびっていないか

語り手は最初、ブフィエの植林を趣味の収集と同じように見ていました(p.21)。本文の終わり近くでは、質朴な老農夫への心からの敬意を書いています(p.42)。見方を変えたのは、毎年の訪問で森と村の変化を見続けたことでした(筆者の整理)。

家族や同僚が何年も続けている小さな習慣を、軽く見ていないか(筆者の置き換え)。続けている理由を一度たずねてみる読み方もできます(筆者の提案)。

どの版で読むか|こぐま社版と、ほかの訳・アニメ

本記事の頁番号と引用は、すべてこぐま社の原みち子訳によります。挿絵はなく、絵はp.4のプロヴァンス地方の地図だけです(p.4)。出版社のサイトでは、判型は小B6判で56頁、価格は1,210円です(こぐま社の商品ページ)。訳者あとがきは10頁あり、ジオノの生涯や実話かどうかの問題まで書かれています(p.43〜52)。

題訳者・絵出版社・年本記事での扱い
木を植えた人原みち子
絵はなく地図のみ
こぐま社
1989年
頁と引用はすべてこぐま社版
木を植えた男寺岡襄
絵フレデリック・バック
あすなろ書房
1989年
中身は確かめていない
木を植えた男を読む高畑勲(訳と文)
絵フレデリック・バック
徳間書店
1990年
中身は確かめていない
木を植えたひと福井美津子
絵ウィリー・グラサウア
世界文化社
2005年
中身は確かめていない
木を植えた男山本省彩流社
2006年
中身は確かめていない

表のうち、本記事で中身を確かめたのはこぐま社版だけです。ほかの訳の書誌は、Wikipediaと絵本ナビによります。

フレデリック・バックのアニメ『木を植えた男』

1987年には、カナダでフレデリック・バック監督のアニメ『木を植えた男』が作られました(映画.com)。上映時間は約30分で、第60回アカデミー賞の短編アニメーション賞を受けています(映画.com)。日本語版のナレーションは三國連太郎です(映画.com)。アニメの中身と本の違いは、本記事では確かめていません。

よくある質問

『木を植えた人』は実話ですか

実話ではありません。実在の人物を頼んだ編集者は、ブフィエが実在しないと分かって原稿を返しました(p.49)。研究誌に収められた1957年の手紙で、ジオノもブフィエを作った人物だと書いています(Çédille第4号)。

作者のジャン・ジオノはどんな人ですか

ジオノは1895年にプロヴァンスのマノスクで生まれ、1970年に75歳で亡くなった作家です(p.43とp.48)。1929年の小説『丘陵』がジイドの目にとまり、作家の道に進みました(p.44)。

ブフィエは全部で何本の木を植えたのですか

植えた本数の合計は、本に書かれていません。1913年の時点で、3年間に10万個のどんぐりを植え、2万本が芽を出していました(p.17)。1920年ごろの森は3区画あり、最も広い所で11kmに及んでいます(p.23)。

『木を植えた人』はどのくらいで読めますか

本文はp.6〜42の37頁で、挿絵のない小さな本です(p.6〜42)。読む時間は人によって違うため、本記事では頁数で示しました。訳者あとがきは、p.43〜52の10頁です(p.43〜52)。

『木を植えた人』と『木を植えた男』は違う作品ですか

同じ原作を、別の訳者が訳した本です(Wikipedia)。『木を植えた人』は、こぐま社の原みち子訳です。『木を植えた男』の題では、あすなろ書房の寺岡襄訳などが出ています(絵本ナビとWikipedia)。

まとめ|作られた人物と、作者が見た景色

『木を植えた人』は実話ではありません(p.49)。研究誌に収められた手紙で、ジオノはブフィエを作った人物だと書いています(Çédille第4号)。下地には、父とどんぐりを植えながら荒れ地を歩いた体験がありました(p.43〜44とp.50)。

ブフィエの仕事が続いたのは、変化がゆっくりで誰にも気づかれなかったからでもあります(p.27〜29)。楓の全滅や羊の害を受けて、やり方を変えた場面も描かれています(p.20〜28)。語り手は本文の終わり近くで、見返りなしに与え続ける心があってこそ人の力が生きる、と書きました(p.41〜42)。

参考・出典

本の記述と頁番号は、蔵書のこぐま社版で確認しました。研究誌の論文と各サイトは、2026年10月21日に確認しています。

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グレイス
考察好きなブロガー。日々の心の重荷を、心理・思想・歴史・暮らしの知恵から静かにほどく——そんな長文の読み物を「日常の温もり」で綴っています。