フロム『愛するということ』を読み解く|愛は落ちるものではなく育てる技術。四つの要素と練習の仕方を、夫婦・親子・介護の場面で考える
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📖 考える文献・思想からじっくり
夫婦の会話が、いつの間にか業務連絡だけになっている。親の介護で、優しくしたいのに言葉がとがってしまう。思春期の子どもに、何を言っても届かない。40代になると、「愛されていない」と感じる夜と同じくらい、「うまく愛せていない」と感じる日が増えてきます。
そんなとき多くの人は、相性のいい相手でさえあれば、気持ちさえあれば、と考えます。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』(1956年)は、その考えを正面からひっくり返した本です。フロムによれば、愛は運よく「落ちる」ものではなく、音楽や医術と同じように、知識と練習によって身につける技術です。刊行から70年近くたった今も世界中で読み継がれ、日本でも1959年の懸田克躬訳以来、版を重ねてきました。
本記事では、本の章立てをそのままなぞるのではなく、「なぜ技術なのか」「人はなぜ愛を求めるのか」「愛するとは何をすることか」「誰を、どう愛するのか」「なぜ現代では難しいのか」「どう練習するのか」という六つの問いに組み替えて読み解きます。説明は筆者の言葉で書き、例は今の家庭や職場の場面に置き換えました。本文中のページ番号は、懸田克躬訳(紀伊國屋書店)のものです。
この記事の早わかり
- 愛は「落ちる」ものではなく、学んで身につける技術。理論を知り、毎日練習し、それを人生の大事な関心にすることが要る(p.1、p.7–8)
- 愛するとは「与える」こと。ただし犠牲ではなく、自分の中の生きている力を差し出すこと。土台は配慮・責任・尊敬・知識の四つ(p.29–38)
- 練習の柱は鍛練・精神統一・忍耐・関心。その先に、思い込みを越えて相手を見る客観性と、人を信じる勇気がある(p.150–180)
こんな人に:夫婦やパートナーとの関係に疲れを感じている人/子育てや介護で「優しくできない自分」を責めている人/「愛されること」ばかり考えてきた気がする人
この本はどんな本か――精神分析家が書いた「愛の教科書」
著者のエーリッヒ・フロム(1900–1980)は、ドイツのフランクフルトに生まれた精神分析家・社会心理学者です。大学で社会学を学んだのち精神分析の訓練を受け、ナチスの台頭を受けて1934年にアメリカへ渡りました。のちにメキシコへ拠点を移し、1980年にスイスで亡くなっています。代表作には、自由の重さから逃げ出す近代人の心理を描いた『自由からの逃走』(1941年)と、「持つ」生き方と「ある」生き方を対比した『生きるということ』(1976年)があり、『愛するということ』はその間に書かれました。
原題は『The Art of Loving』。直訳すれば「愛する技術」です。ただし、本書はデートの指南書でも、関係修復のマニュアルでもありません。フロム自身が序文で、愛する技術の手軽なやり方を期待する読者はがっかりするだろうと断っています。書かれているのは、愛とは何か、なぜ現代人にとって愛が難しいのか、そしてそれを身につけるには何が要るのか、という原理の話です。
構成は四章です。第一章「愛は技術であるか」で問いを立て、第二章「愛の理論」で、人間がなぜ愛を必要とするのか、親子・兄弟・恋人・自分・神への愛はどう違うのかを論じます。第三章「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」で現代社会を診断し、第四章「愛の実践」で練習の仕方を示します。分量の半分近くを占めるのは第二章の理論です。
日本語訳は三つあります。1959年の懸田克躬訳、1991年の鈴木晶による新訳版、そして2020年の鈴木晶訳の改訳新装版で、いずれも紀伊國屋書店から出ています。訳によって用語が少しずつ違うので、本記事では懸田訳の語を使い、必要に応じて鈴木訳の語を添えます。
問い1 なぜ愛は「技術」なのか――三つの思い込み
第一章は、愛は技術だろうか、という問いで始まります(p.1)。もし技術なら、愛するには知識と努力が要る。けれど多くの人はそう考えていません。愛は心地よい感覚で、それを味わえるかどうかは運しだいだ、と思っている。フロムはこの思い込みを三つに分けて点検します(p.1–5)。
思い込み1:問題は「どうすれば愛されるか」だ
多くの人にとって、愛の問題とは「愛すること」ではなく「愛されること」です。そのために、成功して力や富を手に入れようとしたり、身なりや話し方を磨いて魅力的になろうとしたりする。フロムは、ここでいう魅力が、その時代の「人格の市場」で好まれる性質の詰め合わせにすぎないことを指摘します(p.4)。
婚活サイトのプロフィール写真を何度も撮り直す。SNSに載せる暮らしを整える。どれも悪いことではありませんが、それだけに力を注いでいると、自分を「選ばれる商品」として磨くことが愛の準備だと取り違えてしまいます。
思い込み2:問題は「相手」だ
二つめは、愛の問題は能力ではなく対象の問題だ、という思い込みです(p.3)。愛すること自体は簡単で、難しいのはふさわしい相手を見つけることだ、と考える。フロムによれば、かつて結婚は社会的な都合で決められ、愛は結婚したあとに育つものとされていました(p.3)。恋愛結婚が理想になった近代以降、関心は「誰を選ぶか」に集中します。そして人は、自分の交換価値に見合う範囲で、市場で手に入る最良の相手を見つけたと感じたときに恋に陥る、とフロムは書きます(p.5)。
マッチングアプリで年収・身長・居住地の条件を重ねていく探し方は、この構図をそのまま仕組みにしたものと言えるかもしれません。「いい人がいない」という嘆きの裏には、「いい人さえいれば、私はうまく愛せるはずだ」という前提が隠れています。
思い込み3:恋に落ちた瞬間と、愛し続けることを混同する
三つめは、恋に落ちる最初の体験と、愛のなかにとどまり続ける状態との混同です(p.5)。それまで他人だった二人が、急に互いの間の壁を取り払い、親密さを感じる。その瞬間は人生で最も心躍る体験の一つです。けれどその高揚は長続きしません。フロムは、のぼせ上がりの激しさは、愛の深さよりも、それまでの孤独の深さを示しているのかもしれない、と見ています。
結婚して10年、20年たって「気持ちが冷めた」と感じる夫婦は少なくありません。フロムの見方に立てば、それは愛が終わったのではなく、最初の高揚を愛そのものと思い込み、その先の技術を学んでこなかった、ということになります。
技術として学ぶとは
では、どうすればよいのか。フロムは、音楽や絵画、建築、医術や工学を学ぶときと同じ手順を踏めばよいと言います(p.7)。理論を学ぶこと、実践を積むこと、そして、その技術に熟達することを人生の最も大事な関心にすること(p.8)。人がなかなか愛を学ばないのは、成功や名声、お金や権力のほうを愛より大事だと思っているからだ、というのがフロムの診断です(p.8)。
夫婦の会話が消えていく仕組みを、心理学から考えた記事:愛しているのに会話がない|夫婦関係が静かに壊れるメカニズム
問い2 人はなぜ愛を求めるのか――「離ればなれ」という根っこ
第二章の理論は、人間とはどういう存在か、という問いから始まります(p.9)。フロムの答えはこうです。人間は、自分が自分であることを知っている。他人とも自然とも切り離された存在であること、いつか死ぬこと、自分の力ではどうにもならないことが多いことを知っている。この「離ればなれ」の自覚こそが不安の源で、人間の最も深い欲求は、この分離を乗り越え、孤独という牢獄から抜け出すことだ、というのです(p.12)。
人類はこの欲求に、いくつもの答えを試してきました。
- 陶酔による合一:祭りの熱狂、酒や薬物、集団の儀式。強烈だが一時的で、醒めればまた孤独が戻ってくる(p.16)。
- 同調による合一:集団の習慣や流行に合わせ、みんなと同じになることで孤独を消す。穏やかで日常的だが、そのぶん孤独を根本から癒やす力は弱い(p.18–22)。フロムは、現代社会が説く「平等」が、個性を失った「同じさ」に近づいていると指摘します(p.20–21)。
- 創造的な仕事:ものを作る人は素材と一体になる。ただしそれは、人と人との合一ではない(p.24)。
同じ服、同じ話題、同じ「いいね」。SNSで誰かの投稿に反応し続けて一日が終わるとき、私たちは同調による合一を試しているのかもしれません。それで孤独が少しまぎれても、夜になると空しさが残る。フロムなら、それは答えが部分的だからだ、と言うでしょう。
愛に似て非なるもの:「共棲的合一」
本当の答えは、人と人との合一、つまり愛です。ただし、ここにも二つの形があります。一つは、フロムが「共棲的合一」と呼ぶものです。生物学的な原型は妊娠中の母親と胎児の関係で、二つでありながら一つとして生きている(p.25)。心理の面では、相手に呑み込まれることで孤独を消す受け身の形(服従、マゾヒズム)と、相手を呑み込むことで孤独を消す能動の形(支配、サディズム)があり、同じ人がその両方を行き来することも珍しくない、とフロムは書きます(p.26–27)。
「あなたがいないと生きていけない」と相手に寄りかかる関係も、「相手を思い通りにしたい」と管理する関係も、根っこは同じ、孤独への恐れです。今日の言葉でいえば共依存に近い状態で、一見とても濃い愛に見えるぶん、見分けるのが難しい。
これに対して成熟した愛は、自分が自分であることを保ったまま相手と結びつくものです。二人が一つになりながら、なお二人であり続ける。この逆説が、フロムの考える愛の核心にあります。
「しがみつく愛」を、フロムと脳科学の両方から考えた記事:相手への執着を手放す方法|「愛は持てない」──フロムと脳科学が教える、しがみつきの正体
問い3 愛するとは何をすることか――「与える」と四つの要素
フロムは、愛は受け身の感情ではなく能動的な活動だと言います。哲学者スピノザが能動的な感情と受動的な感情を区別したことを引きながら、愛は受け取るより先に与えるものだと位置づけます(p.29)。
「与える」は犠牲ではない
最も広まっている誤解は、与えることを、何かを手放すこと、奪われること、犠牲にすることだと考えることだ、とフロムは指摘します(p.30)。見返りがなければ与えない人は、与えることを損だと感じる。ため込む性格の人は、与えることを自分が貧しくなることだと感じる。けれど成熟した人にとって、与えることは自分の力の表現であり、だからこそ受け取るより喜ばしい(p.31)。多く持っている人ではなく、多く与えられる人が豊かなのだ、とフロムは言います(p.32)。
では、何を与えるのか。お金や物のことではありません。自分の喜び、関心、理解、知識、ユーモア、ときには悲しみ。自分の中で生きているものを分け与えることです。そうして与えるとき、相手の中でも何かが生まれ、相手もまた与える人になる。与えることには受け取ることが含まれている、とフロムは書きます(p.34)。逆に言えば、与えることを恐れる人は、愛することそのものを恐れているのです(p.35)。
たとえば家事の分担で、「私ばかりやっている」と回数を数え始めると、家の空気は急に冷えます。親の介護で「ここまでしてあげているのに」と思う瞬間も、同じ構図です。フロムの言葉に照らすと、そのとき私たちは与えているのではなく、取引をしている。もちろん、分担の偏りを見直すことは大切です。ただ、それとは別に、「今日は何を差し出せたか」を自分に問う時間を持つと、同じ家事や介護の手触りが少し変わります。
愛の四つの要素
与えることに加えて、あらゆる愛に共通する要素として、フロムは四つを挙げます。懸田訳では配慮・責任・尊敬・知識、鈴木晶訳では配慮・責任・尊重・知です(p.35)。フロムは、この四つが最もはっきり見えるのは、母親が子に向ける愛だと言います。
配慮は、愛する対象の生命と成長に、積極的に関心を向けることです。フロムは、花が好きだと言いながら水やりを忘れている人がいたら、その人が花を愛しているとは信じられないだろう、というたとえを使います(p.35)。たとえば「子どもの話はちゃんと聞きたい」と思いながら、毎晩「あとでね」と言い続けているなら、思いと行動の間にずれがあります。配慮は気持ちではなく、手入れのことです。
責任は、外から押しつけられた義務ではなく、相手が言葉にした、あるいはまだ言葉にしていない求めに、自分から応えることです(p.37)。英語の responsibility が「応答する力」につながる言葉であることと重なります。親の介護を「娘だから」「長男の嫁だから」という義務だけで回していると、心はすり減ります。義務の量を減らす工夫と同時に、今日の親が本当は何を求めているのか、小さなサインに応える意識を持つ。それがフロムのいう責任です。
尊敬(尊重)は、恐れや畏怖のことではありません。相手をありのままに見て、その人がその人らしく成長していくことを願うことです(p.37)。尊敬がなければ、責任は簡単に支配に変わります。子どもの進路に自分の果たせなかった夢を重ねる親、部下を自分のコピーに育てようとする上司は、どちらも相手のためと言いながら、相手を自分の延長として扱っています。フロムは、尊敬は自分が自立していてはじめて可能になる、と付け加えます(p.38)。誰かに支えてもらわなければ立っていられない人は、相手を自由にさせておく余裕を持てないからです。
知識(知)は、相手を表面ではなく核心で知ることです。配慮も責任も、知識に導かれなければ盲目になる。知識も、関心に動かされなければ空っぽになる(p.38)。そして相手を本当に知るには、自分の不安や願望でゆがんだ相手のイメージを乗り越えなければならない(p.42)。夫の「疲れた」が仕事の愚痴なのか、もっと深い不安なのか。母親の頑固さが性格なのか、老いへの恐れなのか。ラベルを貼る前に、その人自身の言葉で知ろうとすること。四つはばらばらの徳目ではなく、互いを支え合っています。
介護する側が壊れないための方法を整理した記事:親の介護で壊れる前に|援助者ケアの方法10問
問い4 誰を、どう愛するのか――親子・兄弟・恋人・自分・神
フロムによれば、愛は特定の一人との関係である前に、世界全体との関わり方を決める態度、性格の向きです。だから、たった一人だけを愛してほかの人には冷淡だというなら、それは愛ではなく、共棲的な愛着か、ふくらんだ自己中心性にすぎない(p.63)。そのうえでフロムは、愛を向ける対象ごとの違いを論じます。
親子の愛:無条件の愛と条件つきの愛
フロムは、母の愛と父の愛を、二つの原理として描き分けます。母の愛は無条件で、子は何かを達成したからではなく、ただ子であるというだけで愛される。これは大きな祝福ですが、裏を返せば、自分の努力で手に入れることも、つなぎとめることもできない(p.54)。父の愛は条件つきで、期待に応えることで得られる。努力で得られる代わりに、期待を裏切れば失うこともある(p.56–57)。幼い子には母の無条件の愛と世話が、六歳ごろからは父の愛と権威と導きが必要になる、とフロムは書きます(p.59)。
この部分には1950年代の家族観が色濃く出ているので、実際の母親・父親の役割分担として読むより、愛の二つの原理として読むのが今日的でしょう。フロムが重視するのは、その先です。成熟した人は、やがて自分自身の母であり父であるようになる(p.60)。自分を受け入れる声と、自分に基準を求める声の両方を、自分の内側に持つ。母中心の愛着から父中心の愛着へ、そして両者の統合へという発達に、心の健康と成熟の基礎がある、とフロムは見ています(p.61)。
フロムはまた、未熟な愛と成熟した愛の違いを、「必要だから愛する」のか、「愛しているから必要とする」のか、という対比で示します(p.55)。子どもはやがて、愛されることよりも愛することのほうが大切だと気づいていく。40代になって、親として子どもに向き合いながら、自分の中の「満たされなかった子ども」に気づくことがあります。自分を責める声ばかりが大きいなら、自分の内側の「母の声」が弱っているのかもしれません。
兄弟愛:すべての愛の土台
フロムが、あらゆる愛の土台に置くのが兄弟愛です。特定の誰かではなく、あらゆる人に向けた配慮・責任・尊敬・知識、相手の生命を育てたいという願い(p.64)。対等な者同士の愛で、今日は私が助けを必要とし、明日はあなたが必要とする(p.65)。肉親を愛するのは特別なことではない。自分の役に立たない人、弱い立場の人、見知らぬ人を愛するところから兄弟愛は始まる、とフロムは言います(p.66)。
家族にはやさしいのに、店員やコールセンターの担当者には横柄になる。逆に、職場では穏やかなのに、家では余裕がない。フロムの基準に照らすと、どちらも愛の土台がまだ揺らいでいる状態です。
母性愛:離れていくことを願う愛
母性愛には二つの面があります。子の生命を守り育てる配慮と責任、そして、生きることそのものへの愛を子に伝えること(p.67)。フロムはこの二つを、旧約聖書の「乳と蜜の流れる地」のイメージに重ねます。乳は世話と肯定を、蜜は人生の甘さと、生きていることの幸福を象徴します。
そしてフロムは、母性愛が本当に試されるのは、乳飲み子への愛ではなく、成長していく子への愛においてだと言います(p.68)。恋愛では離れていた二人が一つになろうとするのに対し、母性愛では一つだった二人が離れていく。子が自分から離れていくことを願い、それに耐えられるかどうかに、母性愛の真価がある(p.70)。思春期の子どもが口をきかなくなったとき、それを拒絶ではなく、愛がうまく働いているしるしとして受け止められるかどうか。40代の親に向けられた問いでもあります。
恋愛(エロチックな愛):一人に向かう愛の危うさ
懸田訳で「エロチックな愛」と訳されているのは、一人の相手との完全な融合を求める愛です。ほかの愛と違って排他的で、そのぶん思い違いも起きやすい。身体の結びつきへの願いが愛に支えられず、兄弟愛を伴わないなら、それは一時的な陶酔に終わる、とフロムは書きます(p.74)。また、恋愛の排他性は、しばしば所有欲と取り違えられる(p.75)。「二人だけの世界」が、実は二人で世界から逃げているだけ、ということもあるのです。
自己愛:わがままとは正反対のもの
自分を愛することは利己的だ、という考えは根強くあります。フロムはこれをはっきり否定します。「隣人を自分のように愛せ」という聖書の言葉は、自分自身の全体性と固有さへの尊敬を前提にしている(p.80)。そして、利己的な人は自分を愛しすぎているのではなく、むしろ愛さなさすぎている、というのです(p.83)。自分を大切にできない空虚さを、他人から奪うことで埋めようとしているからです。
家族のために自分を後回しにしてきた人ほど、「自分を大事にする」ことに罪悪感を覚えます。けれどフロムの理屈では、自分への配慮・尊敬・知識が欠けている人は、他人にもそれを差し出せない。休むこと、自分の好きなものを知ること、自分の限界を認めることは、わがままではなく、愛する力の手入れです。
自分を大事にすることを、等身大の自分との和解として考えた記事:背伸びをやめる勇気──40代から始める「自分のサイズ」との和解
神の愛:宗教と哲学の言葉で
最後の対象は神です。フロムは、神への愛も、分離を乗り越えたいという同じ欲求から生まれると見ます(p.87)。宗教史をたどりながら、母性的な神から父性的な神へ、さらに人の姿をした神から純粋な一神教の神へという発展を描き(p.92–96)、自分の神への愛と、神から自分への愛は切り離せない、と述べます(p.93)。一神教とは、唯一の神だけを信じる宗教の形です。
この節の後半で、フロムは西洋の論理学(アリストテレスの論理)と、矛盾したものを矛盾のまま受け止める東洋の「逆説の論理」を対比し、老子や荘子、インドの思想を引きます(p.100–104)。神秘主義の伝統では、考えることで神を知ろうとする試みは手放され、神と一つになる体験が重んじられてきた、とも書いています(p.43)。神秘主義とは、言葉や理屈を超えて、神や究極の実在と直接ひとつになる体験を求める立場のことです。宗教に縁のない読者は、この節を「人類が愛をどう考えてきたか」の思想史として読むと入りやすいでしょう。
問い5 なぜ現代では愛が難しいのか――「チーム」になった夫婦
第三章で、フロムは自分の生きる時代を診断します。愛が成熟した性格の能力であるなら、人が愛せるかどうかは、その文化が人の性格にどんな影響を与えるかに左右される(p.116)。そして、市場と交換を原理とする当時の資本主義社会は、愛にとって厳しい環境だと見ます。人は自分自身を、人格の市場で高く売れる商品のように扱い、自分の生命力を、最大の利益を生むように投資しようとする(p.146)。
その結果、結婚の理想像も変わったとフロムは言います。夫婦は、互いに協力して家庭をうまく回す「チーム」として描かれる。それは、職場で円滑に働く従業員の理想と大差ない(p.122)。礼儀正しく、互いの気分を損ねず、役割を分担する。一見うまくいっているその関係の中で、二人はそれぞれ孤独なまま、ということがありうるのです。
共働きと子育てに追われる家庭で、夫婦の会話がスケジュール調整とタスク確認だけになる。家族の予定を共有アプリで管理し、送り迎えの担当を色分けする。暮らしを回すための工夫としては合理的です。ただ、効率よく機能するチームであることと、互いを知り合う二人であることは、別のことです。
愛のふりをするもの
フロムはさらに、現代に多い「偽りの愛」の形を挙げます。
- 偶像崇拝的な愛:自分の力で自分を確かめられない人が、愛する相手を偶像のように祭り上げ、すべてを託す。強烈だが、偶像が期待を裏切った瞬間に崩れる(p.138–139)。
- 感傷的な愛:愛を空想の中だけで味わう。映画や歌の恋に涙を流しながら、目の前の人とは向き合わない。あるいは、過去の思い出や未来の計画の中でだけ愛し合い、今この瞬間には愛していない(p.140)。
- 投射による愛:自分の問題を見ずに、相手の欠点ばかりを責める。夫婦が互いにそれをすると、関係は投射のぶつけ合いになる。子どもが、親の不満や期待の受け皿にされることもある(p.141–142)。
一方でフロムは、二人の間の葛藤そのものは悪くないと言います。表面のいざこざをごまかしたり相手に押しつけたりするのではなく、二人の深いところで経験される葛藤は、破壊的なものではない(p.143)。ぶつかり合わない夫婦が健全とは限らない、という指摘は、今も新鮮です。
それでもフロムは、悲観では終わりません。損得の釣り合いを原理とする社会と、愛の原理とは、抽象的には両立しにくい。けれど現実の社会は複雑で、個人が愛を実践する余地は十分にある、と考えます(p.184–185)。そして本の最後で、愛を一部の例外的な人のものではなく、社会全体の可能性として信じることは、人間の本性への洞察にもとづく合理的な信念だ、と結んでいます(p.189)。
人といても孤独を感じる理由を、ブーバーの哲学から考えた記事:「誰もわかってくれない」と感じる夜へ|人といても孤独な理由を、ブーバー『我と汝』で解く
問い6 どう練習するのか――鍛練・精神統一・忍耐・関心
第四章で、フロムはいよいよ実践を扱います。ただし最初に、愛の実践は一人ひとりの個人的な体験なので、誰かが処方箋を書くことはできない、と断ります(p.150)。そのうえで示すのは、あらゆる技術に共通する条件と、愛に固有の条件です。
あらゆる技術に共通する条件
鍛練(鈴木訳では規律)。決まった練習を続けなければ、どんな技術にも熟達しない(p.151)。現代人は職場では一日八時間、厳しく決められた仕事をこなしているのに、仕事を離れると自分を律することができない、とフロムは指摘します(p.152)。ただし、鍛練は外から課された規則として守るのではなく、自分の意志の表れとして、心地よいものとして続けるべきだと言います(p.156)。
精神統一(鈴木訳では集中)。フロムは、集中は現代の文化の中で最も身につけにくいと言い、最初の一歩として、本も読まず、ラジオも聴かず、たばこも酒もなしに、ひとりでいられるようになることを挙げます(p.157)。ひとりでいられないこと自体が、集中を欠いているしるしだと見るのです(p.153)。そして、人との関係における集中とは、何よりも相手の話を聴けることだ、と言います(p.160)。ラジオをスマートフォンに置き換えれば、そのまま今の私たちへの言葉になります。
忍耐。すぐに結果を求める社会では、忍耐は育ちにくい(p.161)。フロムは、歩くことを覚える幼い子どもの姿を挙げます。何度転んでも、また立ち上がる。大人がその忍耐と集中を取り戻せば、たいていのことは成し遂げられる(p.162)。
関心。その技術に熟達することを、人生で最も大事なことの一つにすること(p.8)。片手間では、どんな技術も身につきません。さらにフロムは、自分自身に敏感であることも挙げます。いらいらしたり、怒ったり、白昼夢や逃避的な活動に逃げ込みたくなったりしたとき、それに気づいて立ち止まる(p.163)。
愛に固有の条件:客観性と、信じる勇気
愛する技術に固有の条件として、フロムがまず挙げるのは、ナルチシズム(自己陶酔)を乗り越えることです。ナルチシズムとは、自分の内側にあるものだけを現実として経験する心の向きで、その反対が、人や物をありのままに見る客観性です(p.167)。私たちは、外国の人々については客観性を欠くことが多いが、身近な人についても同じことをしている(p.169–170)。客観性と理性を身につけるには謙虚さが要り、それができれば愛する技術への道のりの半分まで来たことになる、とフロムは言います(p.170–171)。
もう一つは、信念、つまり信じる力です。フロムは、権威や多数派に従うだけの「非合理的な信念」と、自分自身の経験と思考に根ざした「合理的な信念」とを区別します(p.172)。コペルニクスやガリレオのような科学者も、まだ証明されていない段階で、理性への揺るぎない信念を持っていた(p.173)。愛には、相手の中にある可能性と、愛する力を信じることが要る(p.175)。そして、安全と無事ばかりを求める人は、信じることができない(p.179)。信じるには勇気が要り、勇気とは、傷つく危険を引き受けることだからです。
信念と勇気の練習は、日常の小さなことから始まる、とフロムは言います。最初の一歩は、自分がどこで、いつ信じることをやめてしまうのかに気づくことです(p.180)。
能動性:忙しさのことではない
最後にフロムは、愛には能動性が要ると言います。ここでいう能動性は、何かをせわしなくこなすことではなく、内側の活動、自分の力を生産的に使うことです(p.181)。予定を詰め込んで動き回っていても、内側では何も生きていない、ということはありえます。逆に、静かに座って相手の話を聴いている時間が、最も能動的な時間であることもあります。
40代が明日からできる三つのこと
フロムの本は方法論の本ではありませんが、ここまでの内容から、日常に移せることを三つにまとめます。
1. 「愛されたい」を一度だけ「愛する」に言い換える
「夫が分かってくれない」と感じたら、「私は夫の何を知っているだろう」と言い換えてみる。「子どもが話してくれない」と思ったら、「私はこの子の話を、最後まで聴いたことがあるだろうか」と問い直す。受け身の問いを能動の問いに変えるだけで、次にできることが見えてきます。
2. 一日十五分、何もしない時間を作る
スマートフォンも本もテレビもない時間を、十五分でよいので持つ。フロムのいう精神統一の最初の一歩です。ひとりでいることに慣れると、人と一緒にいるときにも、相手の話に集中しやすくなります。
3. 四つの要素で、一つの関係を点検する
パートナー、親、子ども、職場の誰か。一つの関係を選んで、四つの問いを自分に投げてみます。
- 配慮:その人の成長や健康のために、今週、具体的に何をしたか
- 責任:その人の言葉にならない求めに、気づいて応えたか
- 尊敬:その人を、自分の期待ではなく、その人らしさで見ているか
- 知識:その人について、思い込みではなく、本人の言葉で知っていることは何か
全部に答えられなくて構いません。答えにくい問いが、あなたの次の練習課題です。
読む前に知っておきたいこと――訳の違いと読み方
三つの訳
いま新刊で手に入りやすいのは、鈴木晶訳の改訳新装版(紀伊國屋書店、2020年、212ページ)です。表記が現代的で読みやすく、初めて読むならこれを勧めます。1991年の新訳版(同じ訳者、214ページ)も流通しています。本記事のページ番号は懸田克躬訳(同社、1959年、192ページ)によるもので、四つの要素や練習の条件など、用語が鈴木訳と少し違います。訳を見比べるときは、章と節の位置を目安にしてください。
どこから読むか
第二章の理論は分量が多く、宗教や精神分析の議論も入ってくるため、途中で止まってしまう人が少なくありません。最初は第一章と第四章を読み、問題意識と実践の全体像をつかんでから第二章に戻る読み方を勧めます。夫婦関係を考えたい人は四つの要素(p.35–38)と恋愛の節、子育て中の人は親子の愛(p.54–61)と母性愛の節(p.66–70)から入るのもよいでしょう。
時代の制約も知っておく
本書は1956年の本です。男女の役割や性のあり方についての記述には、当時の価値観がそのまま出ている箇所があり、今日の目では受け入れにくい部分もあります。そこは時代の制約として距離を置きながら、愛を技術として学ぶという中心の主張を受け取る、という読み方で十分に価値がある本です。
フロムのほかの本との関係
恋愛の排他性が所有欲と取り違えられやすいと指摘したフロムは、20年後の『生きるということ』で、その問いを暮らし全体の「持つ」と「ある」の対比へと広げます。愛し方を考えたいならこの本から、学びや会話を含む生き方全体を見直したいなら『生きるということ』から入るのが、筆者の勧める順番です。
フロムが20年後に暮らし全体へ広げた問いを読み解いた記事:フロム『生きるということ』を読み解く|「持つ」と「ある」を日常の場面で考える
📚 エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶訳・改訳新装版)
紀伊國屋書店、212ページ。この記事で骨組みだけ紹介した四つの要素(配慮・責任・尊重・知)と、第四章の練習の条件は、実際に読むと一行ずつ自分の生活に引き寄せたくなる密度があります。本記事のページ番号で箇所を追いたい人は、懸田克躬訳を。
楽天ブックスでの価格は改訳新装版が1,430円、懸田克躬訳が1,388円(いずれも税込。2026年10月16日確認。在庫や価格は変わることがあります)。
よくある質問
Q1. 『愛するということ』は恋愛の本ですか?
恋愛だけの本ではありません。親子の愛、兄弟愛(すべての人への愛)、恋愛、自己愛、神への愛を扱い、愛を特定の相手との関係である前に、世界全体への態度として論じています(p.63)。夫婦や家族、職場の人間関係を考える本としても読めます。
Q2. 「愛は技術」とはどういう意味ですか?
愛は運よく落ちるものではなく、音楽や医術と同じように、理論を学び、練習を積み、それを人生の大事な関心にすることで身につく、という意味です(p.1、p.7–8)。テクニックで相手を操るという意味ではありません。
Q3. 懸田訳と鈴木晶訳、どちらを読めばよいですか?
初めて読むなら、表記が新しい鈴木晶訳の改訳新装版(2020年)が入りやすいでしょう。本記事のページ番号で箇所を確かめたい人は懸田克躬訳を。四つの要素は、懸田訳で配慮・責任・尊敬・知識、鈴木訳で配慮・責任・尊重・知と訳されています。
Q4. 自己愛はわがままとは違うのですか?
フロムは正反対だと考えます。利己的な人は自分を愛しすぎているのではなく、愛さなさすぎているために、その空虚さを他人から奪って埋めようとする、という見方です(p.78–83)。自分を大切にすることは、他人を愛する力の土台になります。
Q5. 宗教の知識がなくても読めますか?
読めます。神の愛を論じた節では、一神教の発展や神秘主義、老子・荘子の思想が出てきますが、ほかの章は宗教の知識がなくても理解できます。神の愛の節は、人類が愛をどう考えてきたかの思想史として読むと入りやすいでしょう。
Q6. 夫婦関係に悩んでいます。どこから読めばよいですか?
第一章の三つの思い込みと、第四章の実践をまず読み、次に四つの要素(p.35–38)と、現代の夫婦を「チーム」にたとえた第三章の議論(p.122)に進むのがおすすめです。関係を相手の問題として考える前に、自分の愛する力を点検する視点が得られます。
まとめ
『愛するということ』が問い続けているのは、「どうすれば愛されるか」ではなく「どうすれば愛せるか」です。愛は落ちるものではなく、学び、練習し、育てる技術である。その土台は、相手の成長に手をかける配慮、言葉にならない求めに応える責任、相手をその人らしさで見る尊敬、思い込みを越えて相手を知る知識。そして練習の柱は、鍛練、精神統一、忍耐、関心です。
40代は、夫婦も親子も、関係が長くなったぶん、最初の高揚とは別の愛し方が問われる時期です。気持ちが冷めたのではなく、技術を磨く段階に来た。そう考えると、明日の朝の「おはよう」の言い方から、練習は始められます。
――グレイス
参考文献
- エーリッヒ・フロム『愛するということ』懸田克躬訳、紀伊國屋書店、1959年(本文中のページ番号はこの版による)
- エーリッヒ・フロム『愛するということ』鈴木晶訳、紀伊國屋書店、新訳版1991年/改訳新装版2020年
- Erich Fromm, The Art of Loving, Harper & Brothers, 1956
本記事の説明は著者の議論を筆者の言葉で整理し直したもので、例はすべて筆者が現代の家庭や職場の場面に置き換えて作成したものです。書籍の価格・在庫は2026年10月16日時点の楽天ブックスの表示にもとづきます。
テーマ:#深く考える